JR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)
今回からの街道歩きは、「東金御成街道」。 御成街道は1613年12月、徳川家康が東金へ鷹狩りに出かけるために作られた。 家康に命令を受けた老中佐倉藩主土井利勝は船橋~東金間約37キロに及ぶ沿線の村々97ヶ所の明主を召集、村ごとに工事区分を分担させ、農民を動員し、昼夜兼行で造ったところから別名「一夜街道」「提灯街道」、また家康の名をとって「権現道」とも呼ばれている。...
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どこまでもまっすぐな街道。 右手に「張替酒店」。 以下の項は、「」HPより。写真も。 ・・・ 4代目店主の張替正信さんに、お話を聞きながら店内を案内してもらいました。 張替酒店の創業は1905年(明治38年)で、今年でなんと創業114年になります。...
View ArticleJR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その3。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)
(11:05)街道に戻って東に向かいます。 街道筋らしい旧家がいくつかあります。 「長屋門」風のおうち。 街道はまっすぐ延びています。 「長作」交差点の角にも立派なお屋敷が。 「はばたけ未来へ 長作っ子!」 創立140周年の小学校。...
View ArticleJR総武本線「津田沼」駅~「四街道」駅。その4。(「東金御成街道」をゆく。第1日目。)
(12:34)「犢橋(こてはし)」の宿に向かいます。 旧家の大きな屋敷が目立ちます。 下って、また上りの坂「油作の坂」。 旧道の一部が残っているそうです。お堂の脇の左手の道。...
View ArticleJR都賀駅~千葉都市モノレール「千城台」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第1日目+α。)
ここを右に曲がった道が旧道の名残。 ○が鎌池交差点。この少し西から街道が復活。左下に「都賀」駅。(「今昔マップ」より) 前回、当初は「千城台」駅まで歩く予定でしたが、途中でリタイア。次回の歩きを考えると、当初の予定のところまで行った方が得策。午後から晴れ間も出てきたので。 9月15日(日)。晴れ。...
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開発が進む中、まだまだ緑が残っています。 「御菓子司 麻布菊園」。 「麻布」という地名と「菊園」という屋号のいわれは? 屋号 菊園 のいわれ 先代菊園店主は、加賀百万石の城下より身をおこし、大正・昭和の御代を通じ宮中に於いて和菓子を以って御奉仕してまいりました。...
View Article千葉都市モノレール「千城台」駅~JR東金線「東金」駅。その1。(「東金御成街道」をゆく。第2日目。)
9月28日(土)晴れ。 「東金御成街道」歩き。 今日で、終着地までの予定。というのも、歩くコースには、路線バスはなく、コミュニティバスがあるのみ。当然、鉄道はなし。「東金」駅まで行かなければ・・・、と。 (9:22)前回の「御成台1丁目」交差点まで戻って、再開。東に向かいます。 いきなり急坂。けっこうなアップダウン。...
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田園風景が広がります。 栗畑。 名産のピーナツ畑。 ハウスのイチゴ栽培。 (10:18)しばらく進むと、右へ下る坂道が旧道。 広い道につながります。 右手の高台には、中田やつ耕園(中田都市農業交流センター)。...
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ほぼ一直線ですが、けっこうアップダウンがあります。谷津(谷戸)と丘陵地帯が交互に現れます。 道ばたにはヒガンバナが。 (11:00)「おなりみるく工房」をすぎて、「袖ケ浦カンツリークラブ新袖コース」にさしかかると、道筋には台風15号の爪痕が。 フェンスが壊れ、倒木が目立ちます。 道路の左側のようす。...
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(12:20)相変わらずアップダウンが続きますが、車はぐっと少なくなります。この辺も台風被害あり。 住宅地に入っていきます。 道路上にトタン屋根などが。屋根瓦も壊れています。 (12:34)広大な北総台地。農作物の被害も多いようです。...
View Article千葉都市モノレール「千城台」駅~JR東金線「東金」駅。その5。(「東金御成街道」をゆく。第2日目。)
坂を上ると、里山が広がります。 来た道を振り返る。森と畑。 (13:15)その先に「圏央道」が見えてきます。 その先の県道を越えると、砂利道になります。 左右はソーラーパネルの発電所になっています。その道ばたで小休止。 この付近の今昔。...
View Article台風19号の爪痕。二子玉川。
多摩川の決壊・水害が報じられています。東急「二子玉川」駅の南側。かなり以前、このブログで取り上げたことがあります。再掲します。 二子玉川園。多摩川陸閘跡2011-06-28 20:49:08 | 歴史・痕跡 東急田園都市線・大井町線「二子玉川」駅。かつての駅名は、「二子玉川園」。...
View Article読書「ボンヘッファー 反ナチ抵抗者の生涯と思想」(宮田光雄)岩波現代文庫
「キリスト教神学者でありながら,反ナチ抵抗運動の一員としてヒトラー暗殺計画に加わり,ドイツ敗戦直前に強制収容所で処刑されたディートリヒ・ボンヘッファー(1906―45).生命を賭して時代への抵抗を貫き,若くして殉教への道を選んだのは,なぜか.新たな知見も交えながら,その生涯と思想の意味を現代に問う。」とあります。 極めて示唆的な言葉。1940年頃に執筆された遺稿『倫理』草稿より。...
View Article老嬢Sの寝物語。
今振り返ると、けっこう幸せな人生だった。いい人生だったわ。 人並みの生活が送れて。あなたもそうでしょうけど。 ・・・ 夢見ながら話しているの。 10年、20年・・・。もうそんな長く生きたいとは思わないわよ。 わがままいっぱいで来ただけ。ホントウよ。 今、色々整理しているんだけれど。 着物もすっかり全部処分した。他にもあれこれ。...
View Article「博物館 網走監獄」その1。(網走行その1)。
7日~9日。所用のため、網走まで初めて出かけました。東京は、20℃ほど、網走は7℃ほど。寒いから冬の格好で、と言われ、ダウンのコートを携えて。 三日間とも雪雲は時々通りすぎましたが、日中は、おおむね晴れ。特に、8日は快晴。しかし、夜になると、雨が雪に変わってちらつきます。翌日、周囲は、うっすらと霜が降りたよう。道路は凍っています。...
View Article「博物館 網走監獄」その2。(網走行。その2)
現在の網走刑務所全景。(「Wikipedia」より) 「博物館 網走監獄」は、元々の「網走監獄(刑務所)」があった位置ではありません。...
View Article「オホーツク流氷館」・「天都山展望台」。(網走行。その3)
遠くにオホーツク海、その向こうに知床半島の山並み。 「網走監獄」の近くにある「オホーツク流氷館」、「天都山展望台」へ。 流氷とオホーツク海の生き物をテーマとした観光施設。 正面と左右上下に展開する総インチ数400インチの大迫力5面「流氷幻想シアター」が、ちょうど始まったところ。...
View Article「能取(のとろ)岬」・「能取岬灯台」・「オホーツクの塔」。(網走行。その4)
9日(土)。ホテルからの網走湖。明け行く空と湖水と木々。 眼の下を列車が通過中(↓)。 「石北本線」。1932年(昭和7年)10月1日に難所だった北見峠を越える石北線が全通して、旭川から北見・網走方面を結ぶ最短経路の鉄道が開通した。通過しているのは、「旭川」行きの列車?...
View Article真冬のような冷たい雨。ささやかなミニ「忘年会」。そして、「シェルブールの雨傘」。
12月7日(土)。雨のち曇り。年末年始のころの寒さ。 どうもお疲れ様でした。まさかこんな冷たい雨模様になるとはね。 ホント。やれやれ、こんなに寒くなるとは思わなかったわ。 最高気温が夜中だったっていうじゃない。その後は下がる一方だった、って。 ま、元気で年の瀬を迎えられただけでもけっこうなことよ。 腰が痛くなってしんどいんですって。 歩きすぎなんじゃない、年を考えた方がいいわよ。...
View Article初冬の隅田公園&百花園。その1。
夕暮れ間近の。 先日の真冬の寒さとはうってかわって暖かな日差し。紅葉もさぞかし映えている、と思って、ちょっと回り道。しかし、季節は確実に進んでいて、見ごろも少し過ぎた感じ。寒々とした園内。それでも、12月12日(木)は10月中頃のぽかぽか陽気でした。 水面には落ち葉が漂う。...
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