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Channel: おやじのつぶやき
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氏家宿~喜連川宿~佐久山宿~大田原宿。その5。(「奥州街道」をゆく。第2日目。)

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 (14:02)左から来る県道48号に合流し、これから先は県道48号線として進みます。
    
                       道ばたには秋の草花が咲き誇っています。

 しばらく進むと右手に「JA農産物販売所」。県道から分かれて、信号を斜め左に入って行きます(実際はもう少し手前で左に行く道が旧道)。


(14:36)直進して進むと前坂の交差点で、さっき分かれた県道48号線に突き当たります。
                    

 そのまま、県道を横断して細い下り坂を直進するのが旧街道で、 細い坂道を下って行くと左に「観音堂」があり、その先の枡形を左折すると、さきほどの県道と合流して「佐久山宿」の中心部へ向かいます。

佐久山宿(さくやまじゅく)
 奥州街道(奥州道中)の21番目の宿駅(宿場町)。現在の栃木県大田原市佐久山。
 佐久山宿は、江戸時代、かつて佐久山城があった土地が奥州街道(奥州道中)喜連川宿の次の宿駅として整備された宿場町で、下野国那須郡にあった。天保14年(1843年)の『奥州道中宿村大概帳』によれば、佐久山宿は家数121軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠27軒、人口473人であった。佐久山宿本陣は井上家や村上家が勤めた。
 喜連川宿から奥州道中を北に向かうとつるが坂を通り曽根田に至る。曽根田では江川を橋で渡っていた。この川の手前岸には、明治天皇が行幸した際に使用された休憩所の碑が立っている。対岸に着いた後、さらに北上すると福原道(ふくはらのみち)を分岐する追分を経て佐久山宿へと着く。
 佐久山は下野国の名家のひとつである那須氏発祥の地である。那須資隆の子である那須泰隆がこの地に佐久山城を築城して住まい、はじめて佐久山氏を名乗った。永禄年間には福原資孝が佐久山城攻めて落城させ、その後元禄年間は子孫の福原氏子孫の福原資倍が佐久山城を修復して入城、以後、城下町の機能を併せ持つ宿場となる。

 (14:46)左手からの県道に合流して、すぐ左手に屋敷門を持つ立派なおうちがあります。門の右脇に『運用膏』と書かれた古い看板があります。かつては戊辰戦争の時に傷薬として評判になったそうです。
    

「県道」に沿って続く宿場。かつての面影はありません。

 心なしか空き地が目立ちます。そういうところに大きな記念碑が建てられています。
     

「豊道春海翁生誕之地碑」・「豊道春海翁顕彰事業」
 大田原市では、市出身の偉人の顕彰事業を実施しております。
 豊道春海翁は、この地佐久山出身で、明治から昭和にかけての日本を代表する書家であります。大田原名誉市民第1号であり、文化功労者にも選ばれた春海翁の功績を称え、これを後世に伝えるため、没後40年の節目の年に顕彰碑を建立しました。

                    平成22年2月24日 大田原市

 軒の低い商店。「地酒天鷹」。

 碑のすぐ先、右側に「大田原市消防団」の建物があり、 隣には公衆便所。街道筋を意識した建物。その右側に「旧奥州道中 佐久山宿 下町」の石柱が建っています。
                      

安政2年(1855)創業の「小島屋」菓子店。名物は与一力餅最中や勘兵衛饅頭。

 ガソリンスタンド脇を左折した奥の裏山が「佐久山城址」になりますが、省略。

新旧混じった家並み。

郵便局の手前には先ほどと同じような記念碑「村上英俊翁生誕之地碑」。

    

「村上英俊翁顕彰事業」
 村上英俊翁は、この地佐久山出身で、日本で初めてフランス語を修め何冊もの辞典を刊行するなど、幕末期から明治期にかけて活躍した学者です。1885(明治18)年には、日本にフランス学を創始した功績により、フランス大統領からジョン・ヌール・シュヴァリエ勲章が授与されました。これらを後世に伝えるため、日仏交流150周年に合わせて顕彰碑を建立しました。

 また、この地が本陣跡だと言われていますが、現在は広い空き地になっていて、特に説明板等もありません。

 (14:58)じきに「佐久山宿」は終わりになり、鈎の手になって右にカーブしながら坂を下ります。
    
                                                宿内を振り返って望む。


 坂の途中の正浄寺には芭蕉の『花の陰 謡に似たる 旅寝哉  芭蕉翁』という句碑があるようです。
 この句は、『笈の小文』の旅の途中、吉野にて詠んだもの。花はもちろん、桜。この句碑のように、芭蕉の句碑は詠まれた所などとは関係なく、後生になってその地域の俳人たちの発願によって建てられたものが多い。

 (15:02)しばらく進み、「箒川」に架かる「岩井橋」を渡ります。

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