晴れ男を自慢するのはいいんだけど、今日は暑すぎるわよ。梅雨明け前に猛暑だもの。梅雨はいったいどこへ。九州なんかはひどいようだけど。
お店もわかりにくしいさ、って地図を書いたこっちも間違えるくらいだから。
ホント、そうです、そうです。私なんかは昨日の夜、電話して駅で待ち合わせてもらったよ。何だか赤羽で飲んでいたようだけど、けっこう周りがうるさくて。
「谷根千」って君たち知らなすぎだよ。このあたりはけっこう年寄りでも歩くコースなんだから。
いぇね、熱中症になってしまってさ。孫の中学の運動会に行って。老人用のテントがあるんだけどさ、二張りしかなくてさ、行ったらもう満席でさ、炎天下、というかそれほどでもなかったけれど、蒸し暑くてさ。
まあ、無理は禁物ですわ。
それで、そのときは暑いな! くらいだったけど、家に帰って夜になっても何だか頭がボッーとしてきてさ。
ある、ある。気が張っているときはいいんだけど、かえって夜にどっと疲れが出てくるんだよね。
たまたま娘が来ていてさ、なんかおかしくないって言うんで、医者につれて行ってもらったさ。夜だもんで、普通の医者がなくて救急センターみたいなところで。ま、点滴を打ってもらって一泊したわけさ。
こっちもそうでしたよ。実は日光街道を歩いていますがね、いよいよ杉並木にさしかかるっていうことになって、出かけましたよ、この間。晴れていたんだけど、杉並木っていうんだから、木陰があるだろう、少しくらいのの日差しは大丈夫だろうって。
いや、いや。あそこは日光に近くなると、鬱蒼とした杉並木が続くけど、そこまではそう甘いものではありませんよ。
まったくその通り。まだまだあの辺りは、杉並木も途切れ途切れなんですね。途中は、日陰もまったくない街道筋を歩かなくちゃいけない。
車だとあっという間に通り過ぎちゃうけれど。
道ばたのおうちで庭掃除をしていた人が、どちらまで、って言うから、今市までって。いや、今日はいい天気でいいんじゃないですか、でも、男体山方向が曇っているときは、午後は雷雨ですよ、って。ああ、ありがとうございます。歩いてはみたもの、暑くて喉は渇くし、腹は減るし、フラフラで、途中でバス停発見! 2分後に来るらしいので、乗っちゃいました。バスの中の涼しいこと、涼しいこと。バスが来なかったらどうなっていたことやら・・・。
自販機は少ないし、食堂もないし、てね。無理は禁物だよ。去年の東海道で経験したはずだろ。
それでも皆さん、お元気そうで。
ま、珍しく早く来たね、いつものぐず男が。
では、乾杯! 古稀のお祝いってことで。
「古来、稀なり」ってことですから。中国ではここまでですね。あとは日本で作ったものなんじゃないかな。
そうそう、「喜寿」とか「傘寿」とか「白寿」とかみな「寿」がつくものね。「古来、稀なり」か、しみじみ味わうべきかな。
お魚が美味しいわね。さすが、魚屋さん直結ですね。けっこうお客さんも入っているようだわ。
イケメンのお兄さんがいるわよ、っていったい何を考えているのよ。
「若さにしがみつき、老いは他人事」なんて思っていたのは、ついこの間だったような気がするけど。
今や、七十路か。
そういえば、紀貫之の「土佐日記」には、
七十八十(ななそじやそじ)は海にあるものなりけり。「わが髮のゆきといそべのしら浪といづれまされりおきつ島もり」
楫取取(かじとり)いへり。
なんてのんきなこと書いてありますね。ま、この場面は海が荒れるだけではなく、海賊が出没しているって言うんで心配がつのっているところなんだけど。
白髪ならまだいいいよ、こうして髪の毛がすなくなっちゃうと、何とも年を感じるね。
自分のこともそうだけれど、連れ合いが癌になったり、百歳過ぎた親を施設に入れたり、見舞いに行ったり、けっこう心労もありますよ。
娘が離婚して戻って来ちゃってさ、1歳の孫の面倒をかみさんと見なくちゃならなくなったし、・・・
髪の毛が多いのは親に感謝しています。一月にいっぺん美容院に行っていますわ。うらやましいでしょ。
ところで、橋本治さんが『双調平家物語』10年がかりで書いている時、扱う時代が6世紀初頭から承久の乱が起こった13世紀までの700年間。有名無名を合わせて、実在の歴史上の人物が1500人以上登場する。その年齢表を作ったそうだ。
継体天皇は82歳、531年に死んだ、とある。かなり長寿ですね。息子は70歳、73歳、だったって。
長寿遺伝子のようなものはどうやらあるらしい。二百年くらい後の多治比の一族は長命で80歳を含んでオーバー70。
でも、全体的には「人生七十、古来稀れ」の事実はけっこう裏付けられるようですね。
70歳を越えた天皇は例外的な存在で、日本で最初の女帝の推古天皇が75歳などわずかしかいない。60歳を越した天皇は稀でしたね。承久の乱の後鳥羽上皇は60歳。
その中でもやはり女性は長寿らしくて女帝の斉明天皇は68歳。中大兄皇子・天智天皇は、46歳でこの世を去っているのに。どうも男の寿命は五十の山を越せるかどうか、っていう感じですね。
たしかに「人生七十、古来稀れ」で「人生五十年」をスタンダードとするのが当然のような昔でした。
ところがあるとき、オーバー80を当然とする長寿の一族、一群が登場します。それが藤原氏一族。
藤原道長は62歳で死にますが、嫡男の頼通は、83歳まで生きました。姉の彰子は87歳。道長の正妻、源倫子は90歳まで生きました。長寿の家系ってあるようだ。
どうも天皇にしても位を譲って上皇になると、長生きをする。「生きるのが楽になると、人間は長生きするな」っていうのが橋本さんの思い。藤原さんも我が世の春を謳歌していたからな。
「なんにもしないですんでいる楽な生活を保証されると人間は長生きをする」っていうこと?
その典型が女院さ。87歳、82歳、・・・。清盛の娘、建礼門院は31歳で壇ノ浦で入水するも助けられて59歳まで生きる。
今の日本で100歳を越えている長寿者は幸福で、多幸感を持っている人が多いそうだ。長生きの条件には「年を取っていることを感じる必要がない」という苦労のなさもあるかもしれない。
それは微妙な皮肉だわね。そういうわけにいかないじゃない、今の私たちは。
橋本さんも言っているけど、そんなになんでもかんでも抱え込んで、自分のノルマだ、なんて思わなきゃいいじゃない、と考えればいいのかもよ。
いつまでも若いと思うなよ、死は必ずくるものだからね。
さて、これからどうする。12月の日程を決めたら、お茶でも飲みに生きましょう、じゃなかった、行きましょう。
その後は、目をつぶってついてきてよ。
注: 歴史上の人物の年齢にまつわる内容は、『いつでも若いと思うなよ』(橋本治)から借用しました。
お店もわかりにくしいさ、って地図を書いたこっちも間違えるくらいだから。
ホント、そうです、そうです。私なんかは昨日の夜、電話して駅で待ち合わせてもらったよ。何だか赤羽で飲んでいたようだけど、けっこう周りがうるさくて。
「谷根千」って君たち知らなすぎだよ。このあたりはけっこう年寄りでも歩くコースなんだから。
いぇね、熱中症になってしまってさ。孫の中学の運動会に行って。老人用のテントがあるんだけどさ、二張りしかなくてさ、行ったらもう満席でさ、炎天下、というかそれほどでもなかったけれど、蒸し暑くてさ。
まあ、無理は禁物ですわ。
それで、そのときは暑いな! くらいだったけど、家に帰って夜になっても何だか頭がボッーとしてきてさ。
ある、ある。気が張っているときはいいんだけど、かえって夜にどっと疲れが出てくるんだよね。
たまたま娘が来ていてさ、なんかおかしくないって言うんで、医者につれて行ってもらったさ。夜だもんで、普通の医者がなくて救急センターみたいなところで。ま、点滴を打ってもらって一泊したわけさ。
こっちもそうでしたよ。実は日光街道を歩いていますがね、いよいよ杉並木にさしかかるっていうことになって、出かけましたよ、この間。晴れていたんだけど、杉並木っていうんだから、木陰があるだろう、少しくらいのの日差しは大丈夫だろうって。
いや、いや。あそこは日光に近くなると、鬱蒼とした杉並木が続くけど、そこまではそう甘いものではありませんよ。
まったくその通り。まだまだあの辺りは、杉並木も途切れ途切れなんですね。途中は、日陰もまったくない街道筋を歩かなくちゃいけない。
車だとあっという間に通り過ぎちゃうけれど。
道ばたのおうちで庭掃除をしていた人が、どちらまで、って言うから、今市までって。いや、今日はいい天気でいいんじゃないですか、でも、男体山方向が曇っているときは、午後は雷雨ですよ、って。ああ、ありがとうございます。歩いてはみたもの、暑くて喉は渇くし、腹は減るし、フラフラで、途中でバス停発見! 2分後に来るらしいので、乗っちゃいました。バスの中の涼しいこと、涼しいこと。バスが来なかったらどうなっていたことやら・・・。
自販機は少ないし、食堂もないし、てね。無理は禁物だよ。去年の東海道で経験したはずだろ。
それでも皆さん、お元気そうで。
ま、珍しく早く来たね、いつものぐず男が。
では、乾杯! 古稀のお祝いってことで。
「古来、稀なり」ってことですから。中国ではここまでですね。あとは日本で作ったものなんじゃないかな。
そうそう、「喜寿」とか「傘寿」とか「白寿」とかみな「寿」がつくものね。「古来、稀なり」か、しみじみ味わうべきかな。
お魚が美味しいわね。さすが、魚屋さん直結ですね。けっこうお客さんも入っているようだわ。
イケメンのお兄さんがいるわよ、っていったい何を考えているのよ。
「若さにしがみつき、老いは他人事」なんて思っていたのは、ついこの間だったような気がするけど。
今や、七十路か。
そういえば、紀貫之の「土佐日記」には、
七十八十(ななそじやそじ)は海にあるものなりけり。「わが髮のゆきといそべのしら浪といづれまされりおきつ島もり」
楫取取(かじとり)いへり。
なんてのんきなこと書いてありますね。ま、この場面は海が荒れるだけではなく、海賊が出没しているって言うんで心配がつのっているところなんだけど。
白髪ならまだいいいよ、こうして髪の毛がすなくなっちゃうと、何とも年を感じるね。
自分のこともそうだけれど、連れ合いが癌になったり、百歳過ぎた親を施設に入れたり、見舞いに行ったり、けっこう心労もありますよ。
娘が離婚して戻って来ちゃってさ、1歳の孫の面倒をかみさんと見なくちゃならなくなったし、・・・
髪の毛が多いのは親に感謝しています。一月にいっぺん美容院に行っていますわ。うらやましいでしょ。
ところで、橋本治さんが『双調平家物語』10年がかりで書いている時、扱う時代が6世紀初頭から承久の乱が起こった13世紀までの700年間。有名無名を合わせて、実在の歴史上の人物が1500人以上登場する。その年齢表を作ったそうだ。
継体天皇は82歳、531年に死んだ、とある。かなり長寿ですね。息子は70歳、73歳、だったって。
長寿遺伝子のようなものはどうやらあるらしい。二百年くらい後の多治比の一族は長命で80歳を含んでオーバー70。
でも、全体的には「人生七十、古来稀れ」の事実はけっこう裏付けられるようですね。
70歳を越えた天皇は例外的な存在で、日本で最初の女帝の推古天皇が75歳などわずかしかいない。60歳を越した天皇は稀でしたね。承久の乱の後鳥羽上皇は60歳。
その中でもやはり女性は長寿らしくて女帝の斉明天皇は68歳。中大兄皇子・天智天皇は、46歳でこの世を去っているのに。どうも男の寿命は五十の山を越せるかどうか、っていう感じですね。
たしかに「人生七十、古来稀れ」で「人生五十年」をスタンダードとするのが当然のような昔でした。
ところがあるとき、オーバー80を当然とする長寿の一族、一群が登場します。それが藤原氏一族。
藤原道長は62歳で死にますが、嫡男の頼通は、83歳まで生きました。姉の彰子は87歳。道長の正妻、源倫子は90歳まで生きました。長寿の家系ってあるようだ。
どうも天皇にしても位を譲って上皇になると、長生きをする。「生きるのが楽になると、人間は長生きするな」っていうのが橋本さんの思い。藤原さんも我が世の春を謳歌していたからな。
「なんにもしないですんでいる楽な生活を保証されると人間は長生きをする」っていうこと?
その典型が女院さ。87歳、82歳、・・・。清盛の娘、建礼門院は31歳で壇ノ浦で入水するも助けられて59歳まで生きる。
今の日本で100歳を越えている長寿者は幸福で、多幸感を持っている人が多いそうだ。長生きの条件には「年を取っていることを感じる必要がない」という苦労のなさもあるかもしれない。
それは微妙な皮肉だわね。そういうわけにいかないじゃない、今の私たちは。
橋本さんも言っているけど、そんなになんでもかんでも抱え込んで、自分のノルマだ、なんて思わなきゃいいじゃない、と考えればいいのかもよ。
いつまでも若いと思うなよ、死は必ずくるものだからね。
さて、これからどうする。12月の日程を決めたら、お茶でも飲みに生きましょう、じゃなかった、行きましょう。
その後は、目をつぶってついてきてよ。
注: 歴史上の人物の年齢にまつわる内容は、『いつでも若いと思うなよ』(橋本治)から借用しました。