「旧新橋停車場」から少し行ったところ、「海岸通り」の「蓬莱橋」交差点を渡った「銀座郵便局」の横に「信号機」が残されています。
これは、当時にあった踏切に設置されたもののようです。


浜離宮前踏切 中央区銀座八丁目21番1号先
この信号機は、昭和6年(1931)から昭和62年(1987)1月31日までの56年間、国鉄汐留駅と東京と中央卸売市場築地市場との間を貨物引込線の踏切用として使用されました。
最盛時には、1日150輌に達する貨物車が通過しましたが、貨物輸送の変化に伴い、汐留駅廃止と共に引込線も撤去される事になりました。しかしながら、地元民の要望により、銀座には珍しい鉄道踏切信号機として、保存されることになりました。
昭和62年(1987)12月
「築地市場」方向に向かって引き込み線がありました。


「海岸通り」方向を望む。


保存理由
元この高速道路の下には汐留川が流れ、鉄橋も架っていました。
汐留駅は、わが国の鉄道開業当時における始発駅の新橋駅でしたが、大正3年(1914)東京駅が中央駅になると、ここは貨物駅になりました。大震災後、築地に東京市中央卸売市場が完成すると、汐留駅と市場間に荷物運搬のための線路がしかれ、大きな働きをしたのです。
都民の暮しの台所を支えて来たこの信号機を、国鉄廃止に当り捨て去られるのにしのびず、東京都中央卸売市場築地市場、東京都第一建設事務所並びに中央区教育委員会、地元各位の多大な御協力に依り、ここに永久保存されることになりました。
昭和62年(1987)12月 銀座御門通り会 銀座金春通り会





1970年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。引き込み線が写っています。↓が「信号機」のところ。
「旧汐留駅」跡地の高層ビル街。さらに「築地市場」も移転となると、この周辺は大きく変貌してきます。その中で「浜離宮」(左下のところ)のみ、以前と変わらぬたたずまいを見せています。中央の工事中の敷地は、「朝日新聞社」となります。