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Channel: おやじのつぶやき
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「江戸川橋」駅。石切橋。新宿区と文京区の区界。渡邊坂。・・・(「蟹川」跡をたどる。その1。)

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遊歩道 先日、東京メトロ有楽町線「江戸川橋駅」近くにある「日教済」会館で会合があって出かけました。
 最近、出かける前には必ず行く先付近の地図を調べ、何か興味が出そうな痕跡などを発見するとちょっと寄り道、を常にしています。
 さっそく地図を見ると、付近のまっすぐで広い道に比べ、ちょっと曲がりくねった道を発見。拡大した地図の上をたどっていくと、新宿区と文京区の区界になっている箇所も(葛飾区と足立区の区界にも「古隅田川」によって入り組んだ区界が存在します)。
文京区関口1丁目と新宿区山吹、水道、改代町などとの区界(カギ型になっている南側の部分。)
 実は、この道がかつての「蟹川」の流路の一部ということが分かりました(「蟹川」という川の存在は聞いていましたが)。

 蟹川(かにかわ)は、大半は新宿区内、一部は文京区内をかつて流れていた河川です。現在は暗渠化され(下水道)、道路となったりして、流路の痕跡は残されていません。「金川」という呼び名もあったようです。
 現在の東京都保健医療公社大久保病院付近(西武新宿駅東側)にあった池、あるいはもう少し西の西武線駅前付近が最上流の水源とされますが、現在の歌舞伎町付近にあった大小の池の水も集めて東北に流れていました。
現在の歌舞伎町付近。二本の水路が確認できます。
●が水源付近。○が太宗寺。 

 新宿ゴールデン街北側を通り、新宿二丁目にある太宗寺からの流れを集め、旧都電跡(「新宿遊歩道公園「四季の道」)近くをかすめ、日清食品前(旧「新田裏」)、新宿文化センター(旧都電車庫)の通り、職安通り下(抜弁天通り下)、大久保通り下、戸山ハイツ、馬場下町、早稲田鶴巻町を流れ、文京区に入り、石切橋、掃部橋の間で神田川に合流していました。(明治期の地図でははっきり幾本かの川となって表示されています。)

現在の早稲田中、高校付近。右下が現在の戸山公園付近。早稲田中学校・高等学校敷地内の地下を流れているようで、川の部分には地盤を固めるための杭が打てないため、川の上には校舎は設置されなかった、と。その部分は2階・3階部に渡り廊下をつけている、とのこと(現地確認できず)。

赤い線が「蟹川」及び支流。上の川は「神田川」。なお、外苑東通り沿い(弁天町)からの流れもあり、早稲田鶴巻町で合流していました。左上(西側)から蟹川に合流する支流がありますが、一部は、現在の文京区(関口1丁目)と新宿区との区界になっていると思われます。 

 ところで、

 西武新宿駅のやや西、JR山手線と総武線が分岐する辺りにその流れを発し、歌舞伎町にいくつかあった池の水を加えて花道通りのルートを流れ、明治通りの東側で向きを北へと変えて、戸山公園内、早稲田大学近辺を経由し、途中いくつかの支流を加えたり分流しながら地下鉄有楽町線の江戸川橋駅付近で神田川へと注いでいた。川は昭和初期には暗渠化され、現在、大部分は下水道戸山幹線となっている。・・・


 以上のように、すでに2011年、本田創 (ほんだ・そう)さんによって「みちくさ学会」HPにおいて、念入りなレポートが写真入りで紹介されています。

《「みちくさ学会」とは?》
 路地、看板、標識、坂道などは...興味のない方にとってみれば風景の一部に過ぎません。しかし、これが好きで好きでしょうがない人にとっては魅力ある対象です。「みちくさ学会」は、その道のブロガーが興味の対象としてる対象物の面白さと、その鑑賞術を紹介。“みちくさ”の楽しみ方を提案するブログメディアです

《本田さんのプロフィール》
1972年、東京都生まれ。小学生の頃祖父に貰った1950年代の東京区分地図で川探索に目覚め、実家の近所を流れていた谷田川跡の道から暗渠の道にハマる。
1997年より開始したウェブサイト「東京の水」は現在"東京の水2009Fragments"として展開中。
2010年、「東京ぶらり暗渠(あんきょ)探検 消えた川をたどる! (洋泉社MOOK)」に執筆。
日本最南端の島の地理や民俗を紹介するサイト「波照間島あれこれ」も主宰。

 「蟹川」は、他にも多くの方々のHPで紹介されています。大都会の中ですっかり失われた川の痕跡をたどる、というのも乙なものです。
 ですので、携帯電話で撮影しながら先達の後追いということになってしまいました。こちらは神田川合流地点と思われるところから、上流にさかのぼることになりましたが。
神田川。このあたりが蟹川が神田川に流れ入ったあたり?
「掃部(かもん)」橋。「古川橋」の上流の橋。
「石切橋」の説明板。「古川橋」の下流の橋。
この細い路地が文京区関口1丁目と新宿区水道町の区界。右が文京区、左が新宿区。「新目白通り」から少し入ったところ。直線の反対側・神田川には「古川橋」があります。
「古川橋」。
右からの道も水路の跡のようだ。奥が文京区。
印刷会社の路地。区界の、すれ違うこともできないような細い道が一直線に「商店街」の先まで続きます。右が文京区、左が新宿区。
商店街。細長い一方通行の道。買い物客はそこそこ。
商店街の一角。「旧小日向町」という案内板。
かつての水路跡(下流方向)。右が新宿区、左が文京区。
水路跡のような。左上が文京区。このあたり、まだ砂利道があったり、古い家屋もあります。けっこう入り組んだ街並みになっています。
水路跡ははっきりしませんが、急角度で曲がったり、建物の上半分が文京区、下半分が新宿区などというところもあります。
旧水路。左が文京区、右が新宿区。道路管理はどうなっているのでしょうか? 例えば違法駐車の取り締まりなどの場合。
「蟹川」跡の道の二本北側の道。北西の方向に続く細く短い道。左が新宿区、右が文京区。この分岐点にはちょっと広い広場状の空間が残されています。蟹川と支流の合流点?
下流方向を振り返る。このあたりから流れは新宿区内をさかのぼります。
「江戸川橋通り」方向を望む。
下流方向(神田川方向)。
蟹川跡の道路と江戸川橋通りとの合流点。「山吹町」交差点の南。
 江戸川橋通りにある「渡邊坂」。緩やかな坂が上の方に向かいます。「蟹川」は谷の底を流れていました。

 これでやっと江戸川橋通りを渡って早稲田の方向に進むことになります。ここまであちこち歩き回って(ブログ上で)なかなか先に進みません。この先は次回に。
 いつまで続くことやら。「夏目坂」までからみますので。

早稲田正門通り。突き当たりが早大。


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