久々に映画。邦題「スリーピング ビューティー〜禁断の悦び」。
扇情的なサブタイトルには違和感がありましたが。内容は、生(性)と「死」にまつわる(生・老・病・死)映画。川端康成『眠れる美女』の翻案のようですが、クレジットタイトルにその名は登場しません。ヒント以上を得ているようです。設定のベースとなるものは、まさに康成的世界です。日本で2度、海外で3度映画化されています。
谷崎潤一郎「鍵」も日本の他にも、イタリアポルノ映画界の巨匠ティント·ブラスが脚本・監督のもの。音楽は、エンニオ·モリコーネが担当。原作に忠実で、それ故、ほとんどポルノ映画ではありました。
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さて、今回。
《あらすじ》
ルーシー(エミリー・ブラウニング)は、女子大生。学資稼ぎのために医学実験やウェイトレスなどのバイトをやっている。大麻をやったり、赤の他人と寝る一方で、バードマンというひ弱な男の部屋にちょくちょく通う。
ルーシーはシルバーサービスというアルバイトをすることになる。それは下着姿で、老人たちのパーティの給仕をすること。秘密クラブのようなところで、彼女以外にも、女性たちがより露出の多い格好で働いている。オーナーのクララから、その彼女に新しい仕事のオファーが。
それは睡眠薬を飲んでベッドに何時間か全裸で眠ること。その間、訪れた老人に何をされているのか(性行為は禁止されているが)、彼女には分からない。そのうち、彼女は寝ている間に自分が何をされているのか知りたいと思うようになり、盗撮用の隠しカメラを部屋の電気スタンドに仕掛ける。・・・
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オーストラリアの女性監督・ジュリア・リーが脚本&監督した作品。生(性)と死。奔放な(にしか見えない)若い女性の人との関わりと生き様を表象する「眠り」と「目覚め」の混沌・はざまを女性の目線で描いた作品。静かな眠りと対照的な現実のどろどろした世界。
すぐ簡単に男と寝ちゃうようなヒロインだが、睡眠薬を飲んで眠るルーシーの姿は、純粋無垢な乙女がそこに横たわっているよう(映画の中では一カ所もセックスシーンはない)。その時だけは、かえって存在感の希薄なヒロインとして描かれる。
死んだように眠る若い全裸の美女を、死を間近にした老人がもてあそぶ、そんな二人だけの秘密の時間。他に誰もいない部屋をただひとつ、その秘密と衝撃を如実に現実化する定点の隠しカメラ。・・・
バードマンが睡眠薬を飲んで自殺する死の間際にルーシーは裸の胸をさらけ出して彼の傍らに横たわるが、もはや心身の死をつなぎとめることはできない。まさに二人の間に危うく存在していたはずの現実を無惨にも切って捨てる「死」。
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そういうエピソードをはさみながら映画は進行していく。
ルーシーは現実逃避としての(一方では金銭的な報酬と引き替えの)手段としてあったアルバイト。一方で、大枚をはたいてルーシーを相手にする老人たち。無抵抗なルーシーとの関わりは彼らにとって甘美なもののはずだった。
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一人目の老人は穏やかな男。ルーシーの若い肉体に優しく触れる。しかし彼女の若さは老人には二度と手に入らない。
二人目の老人は眠っているルーシーを罵る。しかし彼が求めているはずの被虐的な反応は眠る彼女にはない。
三人目の老人はルーシーの身体を持ち上げるなどして自らの肉体の力を示そうとする。が、すでにかなわない。
老人たちは、それぞれ求める、手にするはずだったかつての肉体の若さ、人生の喜び・・・、結局は、打ちのめされるほどの喪失感を味わうことになる。
一方、目を覚ましたとき、眠っている自分に何が起こっているかを知らなければ取り返しのつかないことになってしまうことへの恐れをいだくルーシー。小型カメラを手に入れて何が起きているか、自分の目で見ようと決意する。
彼女がそこに見出したのは、「死」と「生」とのあわいであった。
ラストシーン。薬を飲んで眠りにつく老人(最初に来た男)。クララがやってきて、老人の様子がおかしいのに気付き、ルーシーを必死にたたき起こす。眠りから覚め、自分の横に冷たくなった老人がいるのに気付き、大声で泣き叫ぶルーシー。
隠しカメラの捉えたルーシーと老人との動かぬ(時の止まったような)映像になる。そして、エンディングテロップ。
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映画のもとになった川端康成『眠れる美女』。
『眠れる美女』(川端康成)新潮文庫
幼い体に重ねる、命の哀しみ。「最後の一線」で研ぎ澄まされる、圧倒的な性。川端的エロティシズムの金字塔。
波の音高い海辺の宿は、すでに男ではなくなった老人たちのための逸楽の館であった。真紅のビロードのカーテンをめぐらせた一室に、前後不覚に眠らされた裸形の若い女――その傍らで一夜を過す老人の眼は、みずみずしい娘の肉体を透して、訪れつつある死の相を凝視している。熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の名作「眠れる美女」のほか「片腕」「散りぬるを」。(「新潮社」文庫版のHPより)
谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』と並び称せられる老人の性(生)と死を描いた究極の作品としての評価が高い。
映像化によって康成の世界は描かれたか? 女性の目から見た世界(これからの生を楽しむはずの若い女性の恐れ)と男性の目から見た世界(衰えの中で死を待つ老人の恐れ)との違いをことさら感じた作品。
扇情的なサブタイトルには違和感がありましたが。内容は、生(性)と「死」にまつわる(生・老・病・死)映画。川端康成『眠れる美女』の翻案のようですが、クレジットタイトルにその名は登場しません。ヒント以上を得ているようです。設定のベースとなるものは、まさに康成的世界です。日本で2度、海外で3度映画化されています。
谷崎潤一郎「鍵」も日本の他にも、イタリアポルノ映画界の巨匠ティント·ブラスが脚本・監督のもの。音楽は、エンニオ·モリコーネが担当。原作に忠実で、それ故、ほとんどポルノ映画ではありました。

さて、今回。
《あらすじ》
ルーシー(エミリー・ブラウニング)は、女子大生。学資稼ぎのために医学実験やウェイトレスなどのバイトをやっている。大麻をやったり、赤の他人と寝る一方で、バードマンというひ弱な男の部屋にちょくちょく通う。
ルーシーはシルバーサービスというアルバイトをすることになる。それは下着姿で、老人たちのパーティの給仕をすること。秘密クラブのようなところで、彼女以外にも、女性たちがより露出の多い格好で働いている。オーナーのクララから、その彼女に新しい仕事のオファーが。
それは睡眠薬を飲んでベッドに何時間か全裸で眠ること。その間、訪れた老人に何をされているのか(性行為は禁止されているが)、彼女には分からない。そのうち、彼女は寝ている間に自分が何をされているのか知りたいと思うようになり、盗撮用の隠しカメラを部屋の電気スタンドに仕掛ける。・・・

オーストラリアの女性監督・ジュリア・リーが脚本&監督した作品。生(性)と死。奔放な(にしか見えない)若い女性の人との関わりと生き様を表象する「眠り」と「目覚め」の混沌・はざまを女性の目線で描いた作品。静かな眠りと対照的な現実のどろどろした世界。
すぐ簡単に男と寝ちゃうようなヒロインだが、睡眠薬を飲んで眠るルーシーの姿は、純粋無垢な乙女がそこに横たわっているよう(映画の中では一カ所もセックスシーンはない)。その時だけは、かえって存在感の希薄なヒロインとして描かれる。
死んだように眠る若い全裸の美女を、死を間近にした老人がもてあそぶ、そんな二人だけの秘密の時間。他に誰もいない部屋をただひとつ、その秘密と衝撃を如実に現実化する定点の隠しカメラ。・・・
バードマンが睡眠薬を飲んで自殺する死の間際にルーシーは裸の胸をさらけ出して彼の傍らに横たわるが、もはや心身の死をつなぎとめることはできない。まさに二人の間に危うく存在していたはずの現実を無惨にも切って捨てる「死」。

そういうエピソードをはさみながら映画は進行していく。
ルーシーは現実逃避としての(一方では金銭的な報酬と引き替えの)手段としてあったアルバイト。一方で、大枚をはたいてルーシーを相手にする老人たち。無抵抗なルーシーとの関わりは彼らにとって甘美なもののはずだった。

一人目の老人は穏やかな男。ルーシーの若い肉体に優しく触れる。しかし彼女の若さは老人には二度と手に入らない。
二人目の老人は眠っているルーシーを罵る。しかし彼が求めているはずの被虐的な反応は眠る彼女にはない。
三人目の老人はルーシーの身体を持ち上げるなどして自らの肉体の力を示そうとする。が、すでにかなわない。
老人たちは、それぞれ求める、手にするはずだったかつての肉体の若さ、人生の喜び・・・、結局は、打ちのめされるほどの喪失感を味わうことになる。
一方、目を覚ましたとき、眠っている自分に何が起こっているかを知らなければ取り返しのつかないことになってしまうことへの恐れをいだくルーシー。小型カメラを手に入れて何が起きているか、自分の目で見ようと決意する。
彼女がそこに見出したのは、「死」と「生」とのあわいであった。
ラストシーン。薬を飲んで眠りにつく老人(最初に来た男)。クララがやってきて、老人の様子がおかしいのに気付き、ルーシーを必死にたたき起こす。眠りから覚め、自分の横に冷たくなった老人がいるのに気付き、大声で泣き叫ぶルーシー。
隠しカメラの捉えたルーシーと老人との動かぬ(時の止まったような)映像になる。そして、エンディングテロップ。

映画のもとになった川端康成『眠れる美女』。

幼い体に重ねる、命の哀しみ。「最後の一線」で研ぎ澄まされる、圧倒的な性。川端的エロティシズムの金字塔。
波の音高い海辺の宿は、すでに男ではなくなった老人たちのための逸楽の館であった。真紅のビロードのカーテンをめぐらせた一室に、前後不覚に眠らされた裸形の若い女――その傍らで一夜を過す老人の眼は、みずみずしい娘の肉体を透して、訪れつつある死の相を凝視している。熟れすぎた果実の腐臭に似た芳香を放つデカダンス文学の名作「眠れる美女」のほか「片腕」「散りぬるを」。(「新潮社」文庫版のHPより)
谷崎潤一郎『瘋癲老人日記』と並び称せられる老人の性(生)と死を描いた究極の作品としての評価が高い。
映像化によって康成の世界は描かれたか? 女性の目から見た世界(これからの生を楽しむはずの若い女性の恐れ)と男性の目から見た世界(衰えの中で死を待つ老人の恐れ)との違いをことさら感じた作品。