信号機などもそのまま保存されています。



「機関車庫」付近の全景。右手奥に「蒸気機関車資料館」があります。
場内の中央広場付近にあるのが、「北海道鉄道開通起点標」。


北海道鉄道開通起点標 準鉄道記念物 指定第3号
1880年(明治13)1月8日、手宮から着工した鉄道工事は、同年11月28日(注:軽川という駅名が欠落か? )まで開通。北海道で最初の鉄道がここから始まりました。
北海道の鉄道がこの地から生まれたことを記念して1942年(昭和17)、手宮駅の構内に起点標が建てられ、1966年(昭和41)、後世に伝えるべき鉄道文化財として、旧国鉄により準鉄道記念物に指定されJR北海道に引き継がれました。
この起点の中心点が北海道における鉄道起点(ゼロマイル・ポイント)となります。



本道鐵鉄道ノ創業ハ明治ノ草創開拓使ノ企画ニ成リ石炭輸送ノ目的ニ併セテ将来全道ニ敷設セラルヘキ鐵道ニ連絡セシムル計畫ノ下ニ起工セラレ明治十三年十一月十八日此ノ地ヲ起点トシテ手宮經川間ノ開通ヲ見ルニ至ル是レ実ニ本道鐵道ノ創始ニシテ開拓ノ業亦之ニ據リテ大イニ興ル所トナレリ
茲ニ近藤仙太郎氏之カ記念碑ヲ建立シテ寄贈ス乃チ本日除幕ノ式ヲ行ヒ偉業ノ跡ヲ永ク伝ヘンコトヲ庶フ
昭和十七年十二月十二日
札幌鐵道局長 濱野信一郎撰
札幌鐵道局総務部文書課長 赤木 渉書
注:新橋~横浜、大阪~神戸に次ぐ日本で3番目の鉄道線路。
マンホールにも蒸気機関車の絵柄。

さて、ここからいよいよ「手宮線」をたどっていきます。

その前に「手宮線」とは?


「幌内鉄道」路線図 「手宮線」の現状図。
(http://www.tetsuhai.com/temiya.htmlより) (「小樽市」HPより)

道路上にそのまま残されたレール。


次の道路上から「博物館」方向を振り返る。

雑草の中に埋もれつつある線路。
運河沿いにあるレンガ造りの倉庫の裏手を走っていました。

左手の建物は「旧日本郵船小樽支店」。

その先は、線路伝いに遊歩道になっています。

モニュメント(レールエンド)。


振り返って望む。


旧手宮駅(旅客専用)
明治13(1880)年、石炭輸送のために開通した幌内鉄道は、明治22(1889)北海道炭礦鉄道となります。開通当初は出炭量も少なく、工場、操車場と同じ敷地でも貯炭設備は十分な広さがありました。しかし、明治20年代からは、空知地区の炭鉱開発が進み、次々と石炭を満載した貨車が到着するようになると、手宮駅構内は手狭になっていきます。
明治39(1906)年に国有化されると、石炭輸送優先のため手宮線の旅客扱いを停止してしまいました。しかし、住民の反対も多く、複線化を行った後、大正元(1912)年8月、この場所に旅客専用の手宮駅が作られました。もとの手宮駅は貨物専用駅として、現在の小樽市総合博物館の場所に併置されました。当時鉄道職員は二つの手宮駅を区別するため、旅客専用の駅を「石山」と呼んでいたといわれます。
第二次世界大戦がはげしくなった昭和18(1943)年、旅客取扱いが中止、単線にもどり旅客専用の手宮駅は廃止されます。
小樽市
案内図(↑が「旧手宮線」)。



左手の崖がかつての線路らしい雰囲気を残す。
線路際のサクラがちょうど満開。


