左に入る旧道。
住宅が続く。
長生村のマンホール。中央に村章「ち」を図案化した規格型。
長生村のマンホールには、九十九里浜の荒波と鶴、亀を デザインした汚水管マンホール蓋があるようですが、見つけられませんでした。
(「」より)実にめでたい絵柄です。
左に竹藪が。
藪の向こうに、病院の看板。「南洲会長生クリニック」。
まさか「藪医者」というわけではないでしょうが。駐車場には車がたくさん。
※松尾芭蕉の門人である俳人の森川許六が1706年に編んだ『風俗文選』では、汶村による『藪醫者ノ解』において、「養父」(やぶ)が語源とする説が述べられている。それによると、但馬国の養父に住んでいたという評判の名医が語源であり、本来は名医を指す言葉であったという。現在の養父に当たる兵庫県養父市は、その名声を悪用して「養父医者の弟子」を騙る者が現れたことで「養父医者」の評判が悪くなり、「藪医者」に変化したのではないかと話している。また、件の名医とは養父出身の旗本である長島的庵(1647年頃-1723年頃)ではないかとしている。ただし、蔑称としての「藪」の字は更に古くから使われており、養父説は学問的には支持されていない。
養父市ではこの説にちなみ、僻地医療活動を行う若手医師を対象にした「やぶ医者大賞」を2014年から行っている。
国道128号(「伊南房州通往還」)に復帰します。
右に「長生八積医院」。
※「八積」=「やつみ」。長生村唯一のJR外房線の駅名でもある。
この付近の今昔。
(現在)国道から左に入る道が旧道。
(1880年代)○が現在の分岐点。「藪塚」。
イチョウの葉が、タイヤをたくさん積んだ校庭の遊具に。
「長生村村立八積小学校」。
米「八積」村はなくなりましたが、駅名と小学校名に残っていました。
「忠魂碑」。
右手に畑地が広がる。
左は、満開のコスモス畑。
右手に、
房総特有の方形に近い寄棟造りの大きな屋根。
左手の浅間神社境内に「南部用水組合揚水機 寄贈 柴﨑喜代松様」とある大きなポンプ。
農業用水を汲み上げる装置のようです。
「詳細は石碑に記載」とありましたが、判読不能。
右手には、田畑が大きく広がっています。
畔道の一部に旧道が残されているようですが。
「旬の里 かねだ」。
「金蔵寺」。
見事に調えられた槇。
広い庭に剪定された槇が並ぶ。よく調和されています。奥の建物も立派。