木更津市郊外。
「上総清川」。
こうして木更津駅に戻ってきます。
木更津は「房総往還」の時、半日かけて見て回りました。その時の記録。
通りのようす。選擇(せんちゃく)寺。
「こうもり安」の墓「解説板」。
歌舞伎「与話情浮名横櫛」で切られ与三郎の相棒としておなじみのこうもり安は、本名を山口瀧蔵といい、文化元年(1804)木更津五平町の大きな油屋「紀の国屋」の次男として生まれました。芝居中の人物像とは異なり、実際はなかなかの男振り、天性の美声に加え、金回りもよく、花柳界の寵児といわれれるほどの人物で、ゆすりを働くような人柄ではなかったようです。毎夜ふらふらと出歩くことからこうもり安と呼ばれ、芝居では右ほほにあるこうもりの入れ墨は、実は左の太ももにあったと言われています。
ここ選擇寺にある紀の国屋代々の墓碑銘には「進岳浄精信士 慶応四年四月五日」と刻まれています。
光明寺の「切られ与三郎」のお墓。
「見染の松」。
歌舞伎狂言「与話情浮名横櫛」の主人公お富 と与三郎 が、この場で見染めて以来ここに来ては逢瀬を楽しみ、この松ヶ枝に袖をかけてはかない恋を語ったと伝えられ、袖掛けの松ともいわれたそうであります。
かつては、ここに老松 がありましたが、時の流れとともに風雨にさらされ、或は害虫に侵蝕されてしまいこれを再現したのがこの見染の松であります。
名科白(三幕目「源氏店妾宅の場」より。)
与三郎:え、御新造(ごしんぞ)さんぇ、おかみさんぇ、お富さんぇ、
いやさ、これ、お富、久しぶりだなぁ。
お 富:そういうお前は。
与三郎:与三郎だ。
お 富:えぇっ。
与三郎:お主(のし)ゃぁ、おれを見忘れたか。
お 富:えええ。
与三郎:しがねぇ恋の情けが仇(あだ)
命の綱の切れたのを
どう取り留めてか 木更津から
めぐる月日も三年(みとせ)越し
江戸の親にやぁ勘当うけ
拠所(よんどころ)なく鎌倉の
谷七郷(やつしちごう)は喰い詰めても
面(つら)に受けたる看板の
疵(きず)が勿怪(もっけ)の幸いに
切られ与三と異名を取り
押借(おしが)り強請(ゆす)りも習おうより
慣れた時代(じでえ)の源氏店(げんやだな)
その白化(しらば)けか黒塀(くろべえ)に
格子造りの囲いもの
死んだと思ったお富たぁ
お釈迦さまでも気がつくめぇ
よくまぁお主(のし)ゃぁ 達者でいたなぁ
安やいこれじゃぁ一分(いちぶ)じゃぁ
帰(けぇ)られめぇじゃねぇか。
・・・
「矢那川」に架かる「証誠寺橋」の手前奥に「証誠寺」。境内左手には野口雨情作詞・中山晋平作曲の狸囃子「童謡碑」。
1946年(昭和21年)から放送された東京中央放送局(のちのNHK)のラジオ番組「英語会話」(講師は平川唯一)では、テーマソングとして『証城寺の狸囃子』の替え歌『Come Come EveryBody』(カムカム エブリボディ)が使用された。このラジオ番組はその主題歌から「カムカム英語」とも呼ばれた。
・・・
1955年(昭和30年)、アメリカ人エンターテイナーのアーサー・キット(Eartha Kitt)が『証城寺の狸囃子』を『Sho-Jo-Ji (The Hungry Raccoon)』という題名でカバー(英詞:Bill Walsh)。
当時日本で20万枚近くを売り上げ、文化放送『ユア・ヒット・パレード』でチャート1位を記録するなど、当時の日本における洋楽アーティストの楽曲としては大ヒットになった。・・・
(以上、「Wikipedia」参照)
アーサー・キットの『Sho-Jo-Ji (The Hungry Raccoon)』は、子供心に覚えています。独特の節回しで印象深い曲でした。
奥まったところに「狸塚」。
※「木更津駅」のテーマソングは、この曲になっています。
まさか、春日八郎の「お富さん」というわけにはいかなかったでしょうね。
作詞:山崎 正 作曲:渡久地政信
粋な黒塀 見越しの松に
仇な姿の 洗い髪
死んだはずだよ お富さん
生きていたとは お釈迦さまでも
知らぬ仏の お富さん
エーサオー 源冶店(げんやだな)
すぎた昔を 恨むじゃないが
風もしみるよ 傷の跡
久しぶりだな お富さん
今じゃ異名(よいな)も 切られの与三よ
これで一分じゃ お富さん
エーサオー すまされめえ
・・・
ということで、「久留里線」の旅は終わります。
動画からいくつか紹介。
房総往還歩きでは、この踏切を左から右へと渡り、木更津駅前に向かいました。
関東エリアのローカル私鉄の旅もあとわずか。次回は、「わたらせ渓谷鉄道」に乗る予定です。