この先も田園風景が広がる。
「飯給」。
※「飯給」=「いたぶ」と読みます。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東国の蝦夷を鎮圧するため同地を通ったとき、住民から飯を献上されたところから名付けられたと伝えられています。
森の中を進む。
揺れが激しく、車内を立ち歩くことが難しいので、 駅に停車中か、二両目の後ろの席に座ったままの撮影。
「養老渓谷」。
何年か前に、この駅で下車して「養老渓谷」の温泉に泊まりに来たことがあります。目的地までけっこう歩きました。
・・・当日の記録・・・
いくつか建物が見えてきて、やっと旅館「黒湯の宿・清代元(きよもと)」に着きます。
そこから眺める「観音橋」。
一休みしてアルコールを調達に行くか。
調べると、近くにコンビニはなし。結局、養老渓谷駅前の「ヤマザキ」まで行くしかないことが判明。
そこには若者が行くことにして、こちらは「弘文洞」へ向かいます。
「観音橋」からの養老渓谷。
渓谷に降りて進みます。
左右の崖を見上げると、地層がくっきり。
やっと「弘文洞跡」に着きます。
今からおよそ140年前、耕地を開拓するため、養老川の支流、蕪来川を川まわしして造った隧道。
弘文帝と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名され、景勝地、釣り場の代表として世に紹介されましたが、昭和54年(1979)5月24日未明、頭頂部が崩壊しました。崩壊前のようす。
(この項、「」HPより)
日が西に傾いて左の崖側に日が当たって、ちょっぴり幻想的な雰囲気。
・・・
次が終点の「上総中野」駅。
「上総中野」。
ここで左に停車中の「いすみ鉄道」に乗り換えます。
「小湊鐡道」線を振り返る。
ここで、「小湊鐵道」と「いすみ鉄道」との関係
小湊鐵道(旧称:小湊鉄道)は、千葉県内房の五井駅を起点として養老渓谷駅を経て上総中野駅へ至る路線で、いすみ鉄道はその上総中野駅から外房の大原駅へと至る鉄道となっています。路線図を見ると両者は房総半島を横断しており、小湊鐵道といすみ鉄道を通しで利用される方も多いです。春のシーズンになれば菜の花や桜、夏になればひまわりを愛でる観光客でその季節ごとにぎわいます。
いすみ鉄道株式会社は、千葉県夷隅郡大多喜町に本社を置く鉄道事業者。日本国有鉄道特定地方交通線の一つだった木原線を引き継いで、いすみ線として運営している、沿線自治体や民間企業が出資する第三セクター鉄道事業者である。(「Wikipedia」より)
※「大原」駅では、JR外房線「大原」駅と接続しています。