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Channel: おやじのつぶやき
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京成バス「水元5丁目」~東武バス「花畑桑袋団地」。その2。新大場川水門。神明・六木遊歩道。垳川。(「都境を探ってみる」第2回目。)

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       先に進みます。間もなく中川の合流点に。

その手前、右手に「古新田排水機場」。

        

              「サバスマリン」の向こうに「新大場川水門」。

※「サバスマリン」 国産艇・輸入艇の新艇から 中古艇の販売、保管、整備、修理を行っているほか、これからボートを始める方のためにボート免許スクールを開催している。

「新大場川水門」。

「大場川」上流・水元公園方向を望む。

中川。

中川の対岸(足立区)を望む。正面が東京都と埼玉県の境界。

対岸に向かうために、中川上流の塩止橋へ。

八潮市内。

塩止橋。

中川の河口から19.1 kmの地点に位置し、埼玉県内では中川に架かる最下流の橋である。明治年間の藤橋(後述)に代わり、大正年間に開削された中川の新流路に新たに架けられた橋である。かつての中川は八潮市と三郷市の市境に沿って流れ、大場川閘門橋付近より下流側も中川(古利根川)の一部だった。流路跡上に八潮市と三郷市の市境を成している。橋の名前の由来は潮止村から。その潮止とは東京湾からの海水が潮の干満によってこの付近まで遡上することに因む(感潮河川)。なお、中川は昭和20年頃までは以南の呼称であり、それより以北を古利根川と称していた。

戸ヶ崎の渡し

「戸ヶ崎の渡し」は埼玉郡大瀬村と葛飾郡戸ヶ崎村を結び、川幅80(約145.5メートル)余を渡る人舟馬舟各二艘を有する官設の渡船(官渡])であった。渡船はいつから開設されていたか定かではないが、南北朝期に当地に河が置かれていたことからその頃までには存在したとされる。渡船には中世より存在した河岸場が併設されていた。この渡船場は藤橋の架設により廃止された。

藤橋

北埼玉郡大瀬村北葛飾郡戸ヶ崎村の境を流れる中川(古利根川)の旧流路上存在した里道である水戸脇往還(後の吉川新宿線)の「戸ヶ崎の渡し」の場所に藤橋が架けられていた。

1880年明治13年)6月23日、戸ヶ崎村の加藤翠渓(すいけい)や小右衛門新田日比谷晁(てう)により木造橋の架橋の許可を出願、1881年(明治14年)1月17に内務卿より架橋の許可が下り、私費を投じて9月3日に着工し、1882年(明治15年)12月25日に竣工され、架設者の人名である加藤家と佐藤家の「藤」の字に因んで藤橋と名付けられた。架橋に要した費用は2000円であった。橋の長さは33間3(約54.5メートル)、幅員は1間13尺(約2.7メートル)の木橋であった。この橋は架橋に掛かった費用を29ヵ年かけて償却するため、通行料を徴収する賃銭橋であった。通行料は徒歩1人・人力車1両・大七以上の荷車1両は各5厘、牛・馬は1疋8厘、馬車・牛車は1銭であった。1920年(大正9年)4月1日に県道路線「吉川新宿線」と認定され、橋は埼玉県に移管された。 この橋は明治43年の大水害が契機となり、中川の河川改修が1920年(大正9年)より着手され、蛇行部をショートカットする直線的な捷水路1925年(大正14年)に開削されたことにより廃止された。

(この項、「Wikipedia」参照)

1880年代のようす。戸ヶ崎の渡し場が記されている。

2010年代のようす。完全に街中になっている。

中川右岸沿いに戻ると、

           対岸の「新大場川水門」。手前は、中川と垳川をつなぐ稲荷下樋管。

「神明・六木遊歩道→」の案内。

これから「垳川(がけがわ)」沿いの遊歩道を歩きます。

               

東京都と埼玉県の境界標。土手沿いの「垳川」上に。

 昭和30年代後半まで、このあたりは水田地帯。さらには、水運も盛んでした。その後は、宅地開発。このあたりの川も生活排水、工場排水のために濁って悪臭までも。下水道の完備などで、再び川の流れを取り戻していく。そんな水と人々との関わり合いの歴史もあります。

垳(がけ)川の東端、中川との接続点に昭和54(1979)年に完成したのが埼玉県の垳川排水機場。

垳川は元々、綾瀬川本流で、江戸初期に、水害対策のため、内匠新田(たくみしんでん。垳川の西端、現在の内匠橋付近)から葛飾区堀切の中川との合流地点まで直線流路の綾瀬川の新川が開削された。その結果、垳川は、綾瀬川から切り離され、江戸中期の1729年には中川とも切り離されて、河川としての機能を失ってしまいました。中間部で北から合流する葛西用水路の溜池としての役割を果たしてきましたが、ひとたび大雨で増水すると浸水騒ぎに。そこで、増水時には水害防止のため、綾瀬川や中川に排水する施設が設置されました。現在、その役目を担っているのが、垳川排水機場。
 

※「垳川」

「垳」という文字はJIS第二水準漢字であるが、この地名ならびにこの地を流れる垳川の名を表記する以外には使われない。国字であり、地域文字とされる文字である。

この字・読みの起源について八潮市は1981年に「第2次八潮の民俗調査」の調査報告書の中で水がカケ(捌け)る様子を意味しており、水が流れるとき「土」が流されて「行」くという字を当てたものとしている。一方、早稲田大学教授で日本語学者の笹原宏之は、文字通り崖の意味であって河岸の斜面を意味しており、崖を意味する中世の漢字「圻」が字形揺れによりこの地では「垳」に変化して定着したものという見解を発表している。2012年に区画整理により、本地名が変更されようとしていたことがあるが、「垳」が希少漢字であることから、獨協大学職員によって「『垳』を守る会」が立ち上げられ、地名の保存運動が行われた。のちに、「八潮の地名から学ぶ会」といった団体に発展し、本地名に限らず、日本全国の方言漢字を取り扱うようになった。(「Wikipedia」より)

余談ですが、「方言漢字」は全国に存在し、葛飾の「葛」の「勹」の中を「人」とか「ヒ」などと書くのも、方言漢字の一種のようです。

 垳川。右手に垳川排水機場。


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