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Channel: おやじのつぶやき
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錦華公園。旧錦華小学校(現お茶の水小学校)。(震災復興52小公園。その32。)

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?錦華公園。旧錦華小学校(現お茶の水小学校)

 なお、「神奈川大学 関東大震災・復興データベースによる開園当時の平面図」で当時のようす(小学校校舎と公園との位置関係など)が分かる。 
 
 ここは、「山の上ホテル」、明大の西側(裏手)に位置している。表通り(明大通り)からは緩やかな上り坂。「山の上ホテル」を回り込んで、少し下ると公園。


1880年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。↓が錦華小学校があるあたり。「小松宮邸」とその南側はは現在の明大の敷地。邸の一部が現在の「山の上ホテル」。崖伝いになっていることがよく分かる。

公園北側の入口。「錦華坂」。元は、武家屋敷の一角。
このあたりは、門柱など開園当時のままの雰囲気。
石組みなども昔のままか?
 学生の頃、ここの公園で開かれていた古書市(古本まつり)に何度か来たことがあった。それ以来久々に。待てよ、40年以上も昔の話なので、勘違いかも?
昨年のようす。
HPより)

公園に隣接されている「お茶の水幼稚園」園舎(もともとは、公園だったところ)。公園との一体感があり、迎えの母親が公園内で待機していた。

公園の西側から東を望む。左奥が「山の上ホテル」。
北側の通りから公園を見下ろす。
公園北側の通り。奥に見える店舗が、関ヶ原の戦い前に創業した、という酒屋・豊島屋「豊島屋」。

《錦華小》
明治6年 開校。第四中学区二番小学校(後、久松学校と称す)。
1926(昭和元)年 関東大震災のため焼失した校舎が、鉄筋コンクリート三階建て校舎として完成。
1973(昭和48)年 鉄筋五階建ての新校舎完成。
1993(平成 5)年 千代田区の統廃合計画により120年の歴史に幕。
 以後、近隣の小川小学校、西神田小学校と統合し、お茶の水小学校となる。校舎は、旧錦華小学校の場所に存続。「錦華」の名は、隣地の錦華公園、その脇の錦華坂、錦華通りにその名を残している。
 開校記念式典には、昭和天皇や現在の天皇も皇太子のときに夫妻で列席しているほどの「名門」小。
背景は、震災復興校舎。
(以上、HPを参照。写真も。)

校名が変わり、「お茶の水小学校」へ。
校舎南・校庭側から望む。遠くの高層ビルは、明大校舎。
敷地沿いに古木が保存されている。
「吾輩は猫である 名前はまだ無い  明治11年 夏目漱石 錦華に学ぶ」

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