満願寺橋方向を振り返る。
「備前堀川」が合流。
さらに「備前前堀川」が合流。
合流地点に架かる橋が左「和戸小橋」、右「和戸橋」。
橋を渡る道は旧「日光御成街道」。
※1 東大赤門先の本郷追分で中山道と分岐した「日光御成街道」は、この先、幸手宿で「日光道中(街道)」と合流します。
※2 地図の上部に「日光御廻(り)街道」が記されています。この街道は、幸手宿と栗橋宿の間にある権現堂川の洪水被害を避けるため、西回りする迂回路でした。約10キロメートル。現在、ほとんどその道筋は不明になっているようですが。
この道はすでに歩きました。
和戸橋。
右手に大きな「大落古利根川治水碑」。
ここで、この付近のあれこれ。
①日光御成街道と一里塚
江戸時代に整備された日光街道の脇街道であり、将軍が日光東照宮へ社参する際に利用されました。下高野一里塚は、下高野と下野のほぼ境界に所在し、頂上には松が植えられています。もとは街道の両脇にありましたが、現在は東塚のみが残っています。
②西行法師見返りの松碑
文治2年(1186)西行法師は奈良東大寺再興の寄附を請う旅の途中、この地で激しい風雪に倒れ、土地の人に救われました。庭の松をこよなく愛した法師は村人との別れを惜しみ、この地を去る際にこの松を何度も振り返ったと伝えられています。
③古利根川の渡し
昭和初期以前、古利根川の渡河には渡し船が用いられており、江戸時代から近代の杉戸・宮代周辺では上流から「高野の渡し」「河原の渡し」「矢島の渡し」「船屋の渡し」「ガッタの渡し」の5箇所の渡船場がありました。中世にも現在の満願寺橋付近に「高野の渡し」があったといわれています。
鬱蒼とした木々が迫る。
遠くに「圏央道」が見えます。
両岸にはこんもりした森が続きます。
釣り人の姿。
小高い丘。
正面に「圏央道」の橋脚。
「中落堀川」が合流。
その先、「青毛堀川」が合流。
左が「青毛堀川」、右が「大落古利根川」。
右手は「昌平中学・高校」。
「葛西橋」。
ここから上流は、「葛西用水路」となる。
「葛西橋 始点(中川合流点)から26.78㎞」。
下流を望む。なんとかここまでやってきました。
「葛西用水(本川終点)」標示。
葛西用水の上流のようす。
「大落古利根川」歩きは、ここまで。
中川から分かれてから、変化に富んだ川筋でした。かつての大河を思わせる雰囲気。
特に、春日部(粕壁宿)の古利根川との関わりの深さや市民の景観保持の姿に感心しし、さらに、「杉戸宿」など、日光道中歩きの記憶も蘇ってきての歩きでした。
「中川」歩きから途中で「大落古利根川」歩きになりました。次回、改めて「中川」を遡ることにします。
「青毛堀川」から「大落古利根川」を望む。