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Channel: おやじのつぶやき
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東武伊勢崎線「一ノ割駅」~「久喜駅」。その7。和戸橋。日光御成街道。大落古利根川起点。葛西用水路。(「中川」を遡る。第4回目。)

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                満願寺橋方向を振り返る。

「備前堀川」が合流。

さらに「備前前堀川」が合流。

                    合流地点に架かる橋が左「和戸小橋」、右「和戸橋」。

橋を渡る道は旧「日光御成街道」。

※1 東大赤門先の本郷追分で中山道と分岐した「日光御成街道」は、この先、幸手宿で「日光道中(街道)」と合流します。

※2 地図の上部に「日光御廻(り)街道」が記されています。この街道は、幸手宿と栗橋宿の間にある権現堂川の洪水被害を避けるため、西回りする迂回路でした。約10キロメートル。現在、ほとんどその道筋は不明になっているようですが。

        この道はすでに歩きました。

和戸橋。

右手に大きな「大落古利根川治水碑」。

ここで、この付近のあれこれ。

①日光御成街道と一里塚

江戸時代に整備された日光街道の脇街道であり、将軍が日光東照宮へ社参する際に利用されました。下高野一里塚は、下高野と下野のほぼ境界に所在し、頂上には松が植えられています。もとは街道の両脇にありましたが、現在は東塚のみが残っています。

②西行法師見返りの松碑

文治2年(1186)西行法師は奈良東大寺再興の寄附を請う旅の途中、この地で激しい風雪に倒れ、土地の人に救われました。庭の松をこよなく愛した法師は村人との別れを惜しみ、この地を去る際にこの松を何度も振り返ったと伝えられています。

③古利根川の渡し

昭和初期以前、古利根川の渡河には渡し船が用いられており、江戸時代から近代の杉戸・宮代周辺では上流から「高野の渡し」「河原の渡し」「矢島の渡し」「船屋の渡し」「ガッタの渡し」の5箇所の渡船場がありました。中世にも現在の満願寺橋付近に「高野の渡し」があったといわれています。

      鬱蒼とした木々が迫る。

          遠くに「圏央道」が見えます。

両岸にはこんもりした森が続きます。

        釣り人の姿。

小高い丘。

   正面に「圏央道」の橋脚。

「中落堀川」が合流。

その先、「青毛堀川」が合流。

                      左が「青毛堀川」、右が「大落古利根川」。

右手は「昌平中学・高校」。

「葛西橋」。

           ここから上流は、「葛西用水路」となる。

「葛西橋 始点(中川合流点)から26.78㎞」。

下流を望む。なんとかここまでやってきました。

「葛西用水(本川終点)」標示。

葛西用水の上流のようす。

「大落古利根川」歩きは、ここまで。

中川から分かれてから、変化に富んだ川筋でした。かつての大河を思わせる雰囲気。

特に、春日部(粕壁宿)の古利根川との関わりの深さや市民の景観保持の姿に感心しし、さらに、「杉戸宿」など、日光道中歩きの記憶も蘇ってきての歩きでした。

「中川」歩きから途中で「大落古利根川」歩きになりました。次回、改めて「中川」を遡ることにします。

「青毛堀川」から「大落古利根川」を望む。


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