「中川橋」(上流から)。
「足立区長門排水機場跡」。
「古隅田川」の起点となっています。また、葛飾区と足立区との区界になっています。
現在の足立区と葛飾区の境界線は、亀有駅東南・常磐線鉄橋下流の中川橋(旧水戸街道)付近から綾瀬駅の西南・小菅東京拘置所脇まで、くねくねと曲がって続いている。これが「古隅田川」跡。
その昔、大化元年(645)の頃、国、郡、里が制定され、住田河(隅田川、古隅田川)の現・足立区側が武蔵国足立郡、現・葛飾区側が下総国葛飾郡として両国の境界が設定されました。以後、今に至るまで、足立区と葛飾区との境界線として引き継がれています。
※「古隅田川」は埼玉県にもあります。なお、この「隅田川」跡の散策はかつてブログに掲載しました。
振り返る。
JR常磐線鉄橋。
対岸(金町方向)のようす。
かつては、「三菱製紙」の大きな工場がありましたが、移転し、その後再開発が進められ、東京理科大キャンパスや大きな公園などになりました。
この付近の移り変わり。
1970年代のようす。線路の北に広がる工場。
2010年代後半のようす。中央上が東京理科大を含む広大な再開発地域。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)
前方に「飯塚橋」。
「飯塚橋」から先は、護岸工事のため、立入禁止区間。
大谷田の住宅地に迂回して、「船宿・船十九」のところで、やっと土手へ。
ここからは快適な遊歩道に。
「(海から)17.5㎞」という標石が。
土手下に「佐野いこいの 森」。
長屋門風のトイレ。
※「佐野いこいの森」は、もともと旧佐野家という大きなお屋敷の屋敷林。足立区が買い取って、とくに手をいれず、自然のままの状態を公開している。
かつての訪問記事より。
佐野いこいの森は江戸時代から残る屋敷林。スダジイ、ケヤキ、マテバシイなど約30種(約500本)の樹木があり、様々な野鳥も訪れる生態系上貴重な森です。 区民の皆さんに森と親しんでいただき、その大切さを感じてもらうことで、魅力ある自然とみどりを守っていきたいと考えています。(「足立区」HPより)
古くからの大地主(新田開発)の佐野家屋敷林の一部を一般公開しています。周囲を堀に囲われ、林内には内堀が残っています。自然のまま残されていて、細い遊歩道をゆっくり歩きながら、奥深い林のようす、どこからともなく聞こえる鳥のさえずり、足下の木漏れ陽、・・・。じっくりと自然を堪能できます。森の中は、静寂そのもの。
足下は、下草で覆われています。木々も朽ちたまま。
周囲を囲む内堀の跡。
土手からのようす。
・・・
先に進みます。
六ツ木水門。「花畑運河」の中川側水門。
※「花畑運河」東京都足立区東部に位置し、埼玉県との県境付近を流れる。東京近郊農村地帯と都心を連絡する舟運の利便化のために1931年(昭和6年)に、「中川」と「綾瀬川」を結ぶ運河として開削された。
「中川」流入口。
対岸には、「新大場川水門」。
※「大場川」東京都葛飾区の水元公園では、大場川の水を取水している。その後、閘門橋を越えた先で川幅が大きく広がる。流路は東京都葛飾区の境となり中川に合流する。この幅広い中川合流点付近の大場川の流路はもとは古利根川(中川)の一部であった。(「Wikioedia」による)
この付近の今昔。
1880年代のようす。
大場川が中川(古利根川)の本流であったことが分かる。
2010年代のようす。
上部の蛇行部分をショートカットして現在の中川の流れになった。(「同」より)
1880年代のようす。
「小合溜井」(現在の「水元公園」)への流れの一部が、現在の「大場川」となっている。(「同」より)
2010年代のようす。
かつての流れが現在も市区の境になっている(足立区、葛飾区、八潮市、三郷市)。