東武野田線「梅郷駅」で下車し、前回の地点まで。
流山街道との分岐点から再開。
東武線の踏切へ。
踏切を渡り、道なりに進む。
この付近までが「山崎宿」だったようです。
1880年代のようす。
2010年代のようす。
宿場の出入り口に当たる屈折があり(→)、現在は踏切部分になっていますが、その様子が確認されます。
ここから「野田市役所」先まで、直線道路になります。
約3㎞続きます。小金牧(庄内牧)を直線で貫いているようです。
歌川広重画『富士三十六景 下総小金原』(1858年・安政5年)
野田市まめバス「野馬込(のまごめ)」バス停。
牧に放たれた野馬は8月から9月初旬に捕獲され、優秀な馬は幕府へ送られる。その野馬を捕獲する施設が「野馬込(のまごめ)」である。牧を管理していた役人である牧士(もくし)の指示のもと勢子(せこ)人足に追われた馬は、高い土手を迷路状に築いた「込(こめ)」に追い込まれてそこで捕獲される。油田牧の野馬込は南西側から延びる谷頭に設置され、高さ3mほどの土手が一辺60m~70mの三角形をなし、その内部は3部屋に仕切られている。
野馬の捕獲は年中行事として、大勢の見学者が集まるイベントの一つであったことが、当時の絵図からもわかる。野馬捕獲のクライマックスには老若男女が見学に訪れ、出店が出るほどの盛況ぶりだったようだ。(「千葉県」HPより)
周囲は閑静な住宅地。
バス停「花井堤根」。
※「堤根」という地名は、埼玉県行田市、杉戸町などにもある。これらは荒川や江戸川の土手に関わる地名のようだが、ここは、野馬土手(堤)に関係するようだ。
右手に「もりのゆうえんち」。
(「もりのゆうえんち」HPより)
右手付近から森が多くなってきます。
野馬土手が連なります。
奥に森が広がる。
2010年代のようす。周囲の市街地化にあって保存されているようす。
奥深い散策路。
「中央の杜」。
この山林は、市民がみどりと直接親しめる場を提供する目的で野田市総合計画に基づいて保存しております。野田市の原風景を形成する貴重な平地林であり、過去の里山の風景を未来に伝えるために、樹木・野草の育成及び保全を目的として散策路を設置しております。多くの植物が生育するこの山林は市民の大切な財産です。自然の中の樹木や野草を大切に見守ってください。 むやみに山林内に立ち入らないようお願いいたします。
通りの左側は開発が進む。