対岸のようす。グランドが続く。
左岸は、川の流れに近く、河川敷はほとんどない。
対岸の吉川市側は河川敷が広く、グランドやスポーツ広場などが数多く設置されている。
※「江戸川」に接して流れていた「庄内川」を河川敷に取り込んだことが大きな要因か?
「海から35.75㎞」。
玉葉橋。
江戸川の河口から約35.5Km地点に架かり、埼玉県道・千葉県道326号川藤野田線を通す。左岸は千葉県野田市、右岸は埼玉県吉川市となり、江戸川の吉川市域に架かる唯一の一般道路の橋である。完成は1984年(昭和59年)で、橋梁名は埼「玉」県と千「葉」県から1字ずつ採って名付けられた。上流の野田橋(埼玉県道・千葉県道19号越谷野田線)までは約4Km、下流の流山橋(埼玉県道・千葉県道29号草加流山線)までは約7Km離れており、流山橋周辺では慢性的な渋滞が発生している。このため、玉葉橋の5Kmほど下流に有料道路の三郷流山橋が2023年の開通を目指して建設が進められている。
澪筋は左岸側に寄り、右岸の河川敷には軟式野球場やスポーツ広場などを有する埼玉県営吉川公園が上流・下流双方に広がる。本橋と約120Km離れた富士山との間には視界を遮るものがなく、空気の澄んだ冬の早朝などには富士山の姿を望むことができる。国土交通省関東地方整備局は、玉葉橋と江戸川スーパー堤防上、みずきの街、千葉県立関宿城博物館の4スポットを「野田市からの富士」として関東の富士見百景に選定した。(「Wikipedia」より)
玉葉橋の下にカヌーが。
河川敷に下りてみます。
カヌーは、橋の下でターン。
菜の花が満開。
渡し跡①「深井新田の渡し跡」。
深井新田は江戸時代の江戸川開さくで分断された地域で、対岸に耕作地を持つ人も多く、認可は明治十年六月だが、江戸時代からの古い渡しである。
1880年代のようす。
2010年代のようす。
そこからの対岸。
野田市側。
※ここから下流に架けてかつての渡し場跡が続きます。
「利根運河」の土手が見えてきます。