3月5日(土)。利根川と江戸川の分岐点から目撃した、怪しげな雲の正体は、渡良瀬遊水池ヨシ焼きの煙だったのですね。
4市2町などでつくる「渡良瀬遊水地ヨシ焼き連絡会」が害虫駆除や湿地の環境保全などを目的に実施している。昨年は荒天で中止したため、2年ぶりとなった。
午前8時半、遊水地の各所で一斉に火入れ。土手に並んだ見学者は、ヨシが春風にあおられ燃え上がる様子を写真に収めていた。
同会は「例年より早く燃えた。ドローンも使い、鎮火確認もスムーズにできた」とした。
(この項、「下野新聞チャンネル」HP。映像は「YouTube」より))
※栃木市内でもそのときの灰が降ってきたようです。
閑話休題。さて、「江戸川」歩きの続き。
眼下の田園風景。
歩き始めたときを除き、江戸川の水面をはっきり見る機会がなかったのですが、ここでやっと身近に。
「海から55㎞」。
土手に座って小休止。
のどかな風景。
飛行機の姿が向こうに(↓)。
この先にある「関宿滑空場」に向かうようです。
「海から54.0㎞」。
川の中央に工作物が。
岩? 杭? 橋の跡?
船の航行には危険なようです。いったい何でしょうか? ご存じの方は教えて下さい。
眼下に関宿の家並み。
振り返る。
関宿みんなのスポーツの広場。
「海から51.5㎞」。
向こうに見える橋は「宝珠花橋」。旧東・西宝珠花村(現在の春日部市と野田市)を結ぶ橋。
宝珠花村(ほうしゅばなむら)は埼玉県の東部、北葛飾郡に属していた村。現在の春日部市西宝珠花と、千葉県野田市東宝珠花にあたる。江戸川河川敷で行われる大凧揚げで知られる。
讀賣新聞 2007年(平成19年)5月12日(土曜日)朝刊 地名を歩く 36 西宝珠花(にしほうしゅばな)(春日部市)~帆を干した河川の町~
春日部市北東部、千葉県と接する江P川の堤防沿いに住宅地、田圃地帯が広がる。堤防にほぼ並行して走る目抜き通りにある古い木造建築は、1952年ごろの堤防拡張工事で集団移転したものだ。
時代をさかのぼって1640年ごろ、下総の国と呼ばれた時代、この地域に人工水路として江戸川が開かれ、「宝珠花」地区は二つに分断される。一つは東宝珠花(現千葉県野田市)、もう一つが西宝珠花だ。
新たに整備された江戸川に、物資を運ぶほっかけ舟が往来するようになった。現在の西宝珠花あたりは、荷物の揚げ下ろしや船宿、呉服問屋などで栄え、有数の河岸となる。約40キロメートルほど離れた江戸の町から、荷を積んで川を上ってきた船頭たちは、ここに舟を留め、体を休めたり、ぬれた帆を干したりしたという。
この土地に少なくとも8代前から住み続ける小川建一さん(79)は「『帆を干す』という音がいつしか『ほうしゅ』という音に置き換わった」という土地の言い伝えを教えてくれた。
春日部市文化財保護課は「昔、ほうしゅという音に何かしら漢字をあてる必要が生じた際に、イメージの良い『宝珠』いう字を使ったのではないか」と指摘する。
一方、角川日本地名大辞典は「『はな』は大地の鼻先、『ほうしゅ』は榜示(ほうし)で、境界になった地の意」と明記。江戸川で二分された地を示しているという。
約300年ほど前、河岸だった所は今、広大な河川敷となった。毎年5月、端午の節句を祝う「大凧(おおだこ)あげ祭り」でにぎわっている。
(この項、「」HPより)
1880年代のようす。東西に「寶珠花村」。
渡船場があり、右岸は、河岸として賑わっている。現在は、河川敷になってしまっているようだ。
2010年代のようす。河川敷が広がる。
右岸の河川敷が「大凧(おおだこ)あげ祭り」の会場。
※「なみき」は漢字では「次木」。
※「江戸川」は「利根川」から分岐した「人工水路」であることが分かります。