遠くから近づく飛行機。
頭上を。
この先、一面、茅に覆われていた河川敷に樹木が一面に。
その木々を切り倒し、整地する作業が行われています。
伐採した木を運ぶ大型ダンプがひっきりなしに河川敷に向かう。
かつて2010年代のようす。
利根川の入江付近に樹木が植えられて、親水公園風になっていたのでしょうか? 伐採し整地したまま終わりではなく、新たな計画があるといいのですが。
長豊橋。
「海から61㎞」。
茨城県稲敷郡河内町田川と千葉県成田市竜台とを結ぶ橋として1968年(昭和43年)2月15日に開通した。全長509.6 m、幅員7.0 m。千葉県側827 m、茨城県側284 mの取り付け道路は両県が受け持ち、主要地方道路成田江戸崎線(現在は国道408号)がそれにより貫通した。施工は汽車製造。長豊橋の管理者は千葉県知事で、協議により管理費は千葉・茨城両県で折半としている。
かつてから、周辺住民達は利根川架橋の必要性を唱え、特に茨城県側の長竿村の村長を中心に運動を展開。茨城県側からは長竿村・金江津村(ともに現在の河内町)、千葉県側からは、豊住村・滑河町(ともに現在の成田市)が運動を展開し、架橋建設の気運が高まり、両県に跨ることから予算調整等の困難を乗り越え、建設へと漕ぎ着ける事になる。また、長豊橋の名前の由来は、長竿村の「長」と豊住村の「豊」に由来する。
現在、成田とつくば方面とを結ぶ基幹道路となっているが、片側1車線通行であり、千葉県側の国道356号と交わる長豊橋交差点では、右折車による慢性的な交通渋滞が発生している。渋滞を解消するため、上流側の茨城県北相馬郡利根町と千葉県印旛郡栄町を結ぶ若草大橋有料道路が2006年(平成18年)4月18日に開通した。しかし、それでも朝夕の通勤時や休日などには交通渋滞が起こり抜本的な解決にはなっていなかったが、2001年(平成13年)度から茨城県竜ヶ崎土木事務所により長豊橋の右折車線を増設する交差点改良工事が行われ、2007年(平成19年)7月に完成。渋滞が緩和されている。
(この項、「Wikipedia」より)
この付近の今昔。
1880年代のようす。
2010年代のようす。
掲載の古地図にズレがあって分かりにくいが、渡船場が二ヶ所あるなど、両岸の村民にとって、架橋は長年の願いであったことが分かります。
下流を望む。
振り返ると、道路標識に土浦や成田空港が。
栄町に入ります。
振り返る。遠くに「長豊橋」。
左側一帯が工場地帯になります。「日本食研製造(株) 千葉工場」、「(株)紀文食品 東京工場」・・・。
「日本食研」。
業務用のたれの製造では国内シェア40%でトップの売上を誇り、焼肉店のみならず、牛丼、カツ丼、居酒屋チェーンなど、飲食大手の味を支えている。年間約7,800種類の通常商品を生産し、一品物を加えると21,000種類を超える。また、から揚げ粉のシェアでも他を寄せ付けない圧倒的な強さを誇る。
家庭用では食肉・鮮魚・青果の売り場に製品を置くことが多く、競合するメーカーとしてはモランボンやダイショーなどが挙げられる。焼肉などのツケダレやタン塩に添えられるレモン汁等といった商品にも使われていることが多い。『晩餐館』シリーズは殆どのスーパー精肉売場で置かれている。
近年は健康食品やミネラルウォーターなどの販売を行うなど、多角化が進んでいる。
調味料やハム・ソーセージなどの製造・販売やホテル業等の事業を行っている。
『晩餐館』シリーズのCMでは、エプロンをした牛のキャラクター・バンコが出演し、その毒舌(『焼肉焼いても家焼くな』)も相まって強烈な印象を残したことで知られている。
海外進出も盛んであり2006年には米国ニッポン食研を設立、また中華人民共和国に工場の建設を計画している。
ウィーンのベルベデーレ宮殿をモチーフとした宮殿工場と本社の世界食文化博物館は今治の観光名所となっている。
(この項「Wikipedia」より)
千葉工場。 (「
」HPより)
「海から62㎞」ポスト。
「紀文」。
どういうわけか「東京工場」。