「東武東上線」鉄橋。
4月24日(土)。晴れ。秩父鉄道・寄居駅南口から東武東上線・玉淀駅へ向かい、そこから「荒川」へ。
石畳の道を玉淀方向へ。
「玉淀水天宮」解説板。
宮沢賢治 歌碑。
毛虫焼くまひるの火立つこれやこの秩父寄居のましろきそらに
つくづくと『粋なもやうの博多帯』荒川ぎしの片岩のいろ
「草合歓(くさねむ)の歌碑」。
夏草の深くも茂る 本丸に語る哀しさ 鉢形城戦史 中里 清
出水あとの河原は清く 洗はれてみずゆたかなるを 舟下りゆく 鳥塚 仁
河鹿鳴く馨すがすがし 河原にかはらははこは いまだ短し 内田 義
「雀宮公園」。
「桜柳碑」。
雀宮公園は、歌舞伎の名優・七代目松本幸四郎の別邸跡地。
よく整備された公園。
「正喜橋」を望む。
雀亭をかたどった四阿。
料亭などがある川沿いの道を進みます。
佐々紅華作曲の「寄居小唄」の歌曲碑。
寄居小唄 金子虹作詞 佐々紅華作曲
色はうす紅 玉淀さくら 霞む日ごとの 水かがみ
まわる日傘に ほろほろと さても愛しい 花が散る
よりい良いとこ 秩父の山が 雪のけはいの 品のよさ
娘まけるな 紅つけて シャンとすませよ ミスよりい
城は鉢形 御城下町に 昔 ならした 意地もある
思いきるまい 心なら せめて二度咲け 山つつじ
「埼玉県立自然公園 玉淀」碑。
「魚霊碑」。
対岸は、「鉢形城」址。
「桜樹碑」。
「茂木秋香句碑」。 花にあけ 山にくれけり 水のおと
玉淀碑。
宝登山神社宮司の塩谷啓山翁が昭和8年、玉淀の景観を愛でて作った歌が刻まれています。
咲く花の笑顔のならぶ岸むかい 若鮎のゆききも見えて煌めくさまのなつかしや
花もよし月影もよし夏もよし 雪景色よき里は玉よど
かしこさに浪もさわがず瀬もたたず いまもよどめり玉淀の水
かくもめでたき玉淀の花をや狩らむ月や見む ああたまよどの淀のうるわしさ
・・・
荒川から離れ、「宗像神社」を過ぎ、住宅地へ。
「八高線・荒川橋梁」。
この先、「彩甲斐街道(国道140号線)」へ。。
「折原橋」。
さらに「末野大橋」下へ。上流に「玉淀ダム」。
「末野大橋」。
「国道140号線 皆野寄居バイパス」の道路橋。見上げると、見事なアーチ橋。
「玉淀ダム」。
ダムサイト。
この上流は、「玉淀湖」となります。
「玉淀ダム」から住宅地や田畑の中を通って、再び「彩甲斐街道」へ。
右手は「秩父鉄道」、貨物列車が通過中。
「寄居橋」。
波久礼駅
駅の前の荒川は、玉淀湖になっています。駅名は破崩・端崩(はぐれ)の地名から取り、波久礼駅と命名されました。「崩れやすい崖」が由来のようですが、諸説あるようです。映画のロケでも使われるローカルな趣の駅。
「玉淀湖」。
荒川と秩父鉄道に挟まれた道。
湖上をカヌー・カヤックが。
「カヌーテ玉淀ベース(カヌー・カヤック)」付近。
渓谷風になります(下流方向)。穏やかな水面。
右手に「中田三絃工房」。
右手、踏切を越える道が「旧秩父往還道」?
秩父鉄道線を越えます。
里山風景が広がります。
桑畑。かつては養蚕が盛んだった。
その左手に「秩父織塾工房横山」。
その先で国道から離れて山側を進みます。
上流に見えるのは「白鳥橋」。
再び国道に。右手の高台に。「野上下郷石塔婆」。
高さ約5㍍・幅約1㍍、厚さ13㌢のこの塔婆は現存する板石塔婆としては日本一の大きさである。・・・この塔婆は、当町大字小坂字城山に所在する「仲山城」の城主・阿仁和直家が落城の際討ち死にして、十三回忌の応安二年(一三六九)十月に、夫人の芳野御前(妙円尼)が追善供養のため建立されたものである。(「解説板」より)
長瀞第二小学校裏の山ぎわに「水」の文字が刻まれた岩(三波川結晶片岩)があります。
↓。だいぶ薄れてきています。
寛保2年(1742年)、関東各地に未曾有の災害をもたらした、大洪水の水位を史跡です。旧暦7月27日から豪雨が降り始め、4日間に荒川の水位は最高に達し、この付近一帯は、ことごとく水没しました。現在の暦に直すと、9月上旬から中旬にかけてのできごとです。後日、地元の四方田弥兵衛と滝上市右衛門によって「水」をいう字が刻まれました。当時の水位上昇が確認できる荒川洪水の貴重な記録です。
現在の荒川の川床から24mの高さにあたります。これは、当時、ここから2km下流の破久札の峡谷で、家や流木などでせき止められて、上流域では水位が60尺、メートル換算だと約19.8mにもなった、とのことです。(国道沿い、「長瀞第二小学校」校庭にはその水位が掲げられているようです。)
秩父鉄道「樋口」駅。
「高砂橋」手前を右折し、「北桜通り」へ。
奥に見える荒川の流れ。
「金石水管橋」からの眺め。
右手に渡船場跡。
「長瀞八景」。
長瀞駅前。