?蛎殻町公園(有馬小)

蛎殻町公園の由来
この蛎殻町辺は、江戸時代の切絵図によると周囲を堀割で囲まれた武家地で、大名の下屋敷が建ち並ぶ静かな落ち着いた町並みであったと思われます。
蛎殻町公園のあるこの場所も、江戸時代、松平三河守(津山藩主)の下屋敷があったところで、その後京都出身の豪商杉村甚兵衛氏の屋敷となり、現在公園内にある大イチョウも、当時、かなりの大木として育っていました。
大正12年の関東大震災の時には、近所の人達がその広い庭園内に難を逃れて助かった話も伝わっています。その後、震災復興御計画により、蛎殻町公園として整備され、昭和6年4月に開園しました。
このたび、有馬小学校と蛎殻町公園を改修整備するにあたりこの地域の歴史を思い起こさせる江戸情緒のある築地塀と門構えを造って町並み景観に特色をもたせ、往時をしのぼうとするものです。
平成元年4月 中央区土木部公園緑地課





右の堀割は「浜町川」か? 「久松小」の西側にあった流れの下流にあたり、隅田川に注いでいた。




この公園は「有馬小学校校庭」と「蛎殻町公園」とを一体的に整備してつくられたものです。利用に当たっては有馬小・幼稚園の児童・幼児等が使用する時間帯と一般の皆さんが利用できる時間帯が区分されています。・・・














隅田川中州沿いの運河を埋め立てて首都高の建設が始まっている。首都高建設現場の上に「有馬小」。現在の校舎とは位置が違っていて、震災復興校舎としてコの字型(昭和62年まで現役だった)。その東側に隣接して「蛎殻町公園」がある(公園の位置も現在とは異なっている)。左下に「都立日本橋高校(旧箱崎小)」と「箱崎公園」。

・有馬小
校名は旧久留米藩主有馬頼咸の寄付を受けて創立されたことに由来する。
1873年に「幼童学所」として創立。翌年、第一大学区第一中学区第六番公立有馬小学校となる。
1945年には「付属幼稚園の形で有馬幼稚園」が開園。(戦前からの長い歴史を持つ幼稚園)
今年で、創立140周年を迎えた伝統校。

「有馬小学校は今年度学校創立140周年・有馬幼稚園は開園68周年の節目の年を迎えました。今年度在籍している子ども達が、将来に夢と希望を抱けるように様々な取り組みを計画しています。」(「同」HPより)
