堤防下の桜並木。
河川敷。
軽飛行機の姿が。
「吹上飛行場」から飛び立ったのか?
左手遠くに建物。「66K」ポスト。
見えていても、なかなか近づかない。
来た道を振り返る。
河川敷には「吹上飛行場」。
この先、右手にあるのは、「コスモスアリーナふきあげ / 鴻巣市吹上勤労青少年ホーム」という総合運動・学習施設。
桜もちょうど満開。大勢の人で賑わっています。
河川敷から見上げる桜並木。
河川敷に広がるお花畑。春はポピーや麦ナデシコ、秋は約1200万本のコスモスが咲く。秩父連山や富士山を遠くに望むことができるそうです。
吹上コスモス畑。(「Googleマップ」より)
今は、
ここで、小休止。
遠くに「荒川水管橋」。
「荒川」と、並行する「和田吉野川」に架かる水管橋。全長は1100 mあまりで、日本最長の水管橋として知られる。県西部へは本橋を介して左岸側(吹上)から右岸側(吉見)に送水される。水道専用の橋であり、通常は人が渡ることはできないが、本橋のメンテナンス用通路を歩いて渡ることができる見学会が、例年、春と秋に開催される。
(この項、「Wikipedia」参照)
この先には「大芦橋」が。
向こう側へ。
現在の大芦橋が開通する以前は木造の冠水橋、さらに以前の昭和初期頃迄は橋はなく、いつから存在していたかは定かではないが、八王子千人同心道(「日光千人同心街道」・「日光脇往還」)に属する「大芦の渡し」と呼ばれる官設の渡船で対岸を結んでいた。渡船場には1803年(享和3年)頃開設された「大芦の河岸」が併設され、大正時代には渡船場の川上側に仮橋が架設されていた。また、大芦の渡しのすぐ下流側には松山道に属する「五反田の渡し」と呼ばれる私設の渡船が設けられ、こちらも渡船場に河岸が併設され、冬季には川下側に仮橋が架設されていた。 昭和初期頃架設された冠水橋は橋脚、橋桁共に木製で現在の橋の300メートル下流の荒川のみに架けられ、和田吉野川を渡るには抜水橋である吉見橋を渡る必要があった。冠水橋は北足立(現鴻巣市内)と大里(現熊谷市内)を結ぶ重要な交通路となっていたため、洪水で不通となるたびに緊急事態になり復旧までの間、水量がまだ相当ある中、緊急に仮橋が架けられ、のちの永久橋が架けられるまで何度も繰り返された。1949年(昭和24年)8月にはキティ台風、1965年(昭和40年)5月の台風、、3か月後の8月22日台風17号の洪水で相次いで流失した。

1965年の洪水の後、冠水橋に架け替えられた。路線バスは橋の通行が不能なため、手前で折り返していた。1979年の永久橋が竣工した際、吉見橋は農道として存続されたが、冠水橋の方は撤去された。
(この項、「Wikipedia」参照)
「大芦橋」は、「日光千人同心街道」歩きの時に渡りました。
1880年代のようす。「日光千人同心街道」は荒川を渡船で渡り、吹上方面に向かいました。
2010年代のようす。左の橋が「大芦橋」。右手に「荒川水管橋」。