「リバーサイドフェニックスゴルフクラブ」クラブハウス。
「西野(にしや・にしの)橋」。
荒川本流上に架かる冠水橋(潜水橋)である。上尾市道を通す。 荒川本流上の冠水橋としては最も下流側に位置する。 左岸側に立地するクラブハウスと右岸側のゴルフコースを結び、専らゴルフ場の橋として機能している実態であるが、ゴルフ場の関係者以外の誰もが利用できる。
※「冠水橋」=洪水時には橋面が水面下になる橋をいう。「沈下橋」。
この先、上流にいくつか架橋されている。
その先で、右手の土手の上に。
「県央ふれあいんぐロード」。サイクリングコースになっています。
土手を下ると、「八塚樋管400m」標識。
「小塚浅間塚」への案内。
解説板。
浅間塚は、「富士塚」ともいわれ、江戸時代後期から江戸を中心とした地域で造られるようになった。これは当時流行した富士浅間信仰によるもので、富士山参詣が難しいことから、女性や子どもでも簡単に参拝ができるように、富士山を模した塚を造り浅間社を祀ったものである。特に埼玉県東部や群馬県東南部・栃木県南部の一部地方の富士塚では、「初山」と呼ばれる行事が行われる。この行事は、富士山の山開きの日である7月1日に合わせ、生まれて初めてこの日を迎える子どもを連れて参拝し、子どもの健やかな成長を祈願するというものである。
「小塚浅間塚」は、「おおつか」とも呼ばれ、現在も厚く信仰されている。塚は、高さ約4.6m、1辺が約26mの方形で、塚の東と南の裾部が基盤まで削られているが、全体的に塚の形状がよく保たれている。全体が竹や榊に覆われ、頂上部は平坦で、頂上中央に文化13(1816)年の石祠と明治26(1893)年の「登山大願成就」碑がある。参道は、南西の隅から頂上に向かって一直線に造られていて、上り口に鳥居や講中碑などが建っている。現在も7月1日に初山行事が行われており、市内の富士浅間信仰を考える上で貴重な民俗文化財といえる。
奥に見えるのが「小塚浅間塚」。
しばらく家並みの中を進み、左折します。
再び土手に。
「畦吉河岸跡」の標識。
その先に四阿。休憩(「アッピーお休み処」)。
右、眼下にサクラ。奥は「上尾丸山公園」。
のどかな里山風景が広がる。
荒川側。
階段を下りて左手へ。
道標。「畦吉八幡730m」。
左手からフルートの音色。土手下で練習する人が。
広々とした牧草地。
「県央ふれあいんぐロード」・「サイクリングコース」は、まだまだ続きます。
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ところで、4月4日は二十四節気の5番目「清明」。期間としての意味もあり、この日から、次の節気の「穀雨」(4月20日)前日までの16日間。
以下「ウェザーニュース」より。
「清明」は「清浄明潔(せいじょうめいけつ)」という言葉の略となっています。
「こよみ便覧」(江戸時代に書かれた暦の解説書)の清明の説明部分で登場しており、この時期は、草木を始めとした全ての物が活き活きとしており、清らかで美しいということを伝えています。
中国には清明節(せいめいせつ)という祝日があります。毎年4月の4日前後で、ご先祖様にご加護と平安を祈る日とされています。
清明節は、家族そろって祖先の墓に足を運び、お供えをしたり、お墓の掃除をするという習慣があります。日本でいうお盆のようなものですね。ちなみに、お墓を清めるという意味合いから、別名「掃墓節(そうぼせつ)」とも言われているそうです。
清明祭は、中国のみならず沖縄でも実施されています。「せいめいさい」ではなく「シーミー」と呼ばれ、二十四節気「清明」の期間に行うところがほとんどだそうです。目的は中国と同じくご先祖様の供養。
ただ、シーミーにはちょっと変わった点が。掃除などを済ませた後、お墓の前にレジャーシートを敷いて、お重に入ったごちそうを食べるという習慣があります。「え、お墓の前で?狭くないの…?」なんて思いますが、沖縄のお墓の前は、清明祭のためにきちんとスペースが設けられているようです。家族とワイワイ楽しみながら食事ができるということで、ご先祖様自身も楽しみにしている行事の一つかもしれませんね。
「春を迎えて郊外を散策する日」ということで、清明節は、掃墓節の他に「踏青節(とうせいせつ)」とも言われています。
暖かくなった清明の時期にはまさにピッタリです。
七十二候では、そろそろツバメが渡ってくる時期だと伝えていますから、のんびりと散歩をしている最中にツバメ見かけることも多くなることでしょう。
ツバメに限らず、辺りを見渡せば、草木や生き物が活動を始め、春の訪れを知らせています。
春彼岸でお墓参りには行ったばかりだから…なんて言わずに、清明の時期はご先祖様のもとに足を運び、季節の変化を共有するのもよいかもしれません。
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近所の公団の藤棚。
路傍にはサクラソウ。