さて、三隣亡とは?
三隣亡の由来は全く不明で、いつ頃から三隣亡の慣習が始まったかは判明していないが、江戸時代に入ってから確立されたとする説が有力とされている。実際、三隣亡は、江戸時代よりも前の古い暦注解説書には書かれておらず、江戸時代になってから見られるようになっている。
江戸時代の本には「三輪宝」と書かれ、「屋立てよし」「蔵立てよし」と注記されていた。すなわち、現在とは正反対の吉日だったことになる。これがある年に暦の編者が「よ」を「あ」と書き間違え、それがそのまま「屋立てあし」「蔵立てあし」と伝わってしまったのではないかとされているが、真偽は不明である。後に、「三輪宝」が凶日では都合が悪いということで同音の「三隣亡」に書き改められた経緯がある。
三隣亡と建築
三隣亡は少し前までは建築関係者の大凶日とされ、棟上げや土起こしなど建築に関することは一切忌むべき日とされた。その字面から、この日に建築事を行うと三軒隣まで亡ぼすとされたためである。現在でも、棟上げなど建築に関することの凶日とされ、建築関係の行為は避けられることが少なくない。「高い所へ登るとけがをする」と書いている暦もある。
(この項、「Wikipedia」より)
月に2回あるようで、今月は31日(水)も。
ということで、今朝の隅田公園。曇り空のため、咲き始めたサクラもさえない写真ですが。
「エドヒガン」。
なんといっても、「朝日に匂う桜花」という如く、朝日に照り輝くサクラが一番。
と、つい書きましたが。実は、この一節。もともと本居宣長の作「しき嶋のやまとごゝろを人とはゞ朝日にゝほふ山ざくら花」によります。
それが、軍歌「陸・海軍礼式歌」の一節となり、
朝日に匂う桜花
春や霞める大八州
紅葉色映え菊香る
秋空高く富士の山
昔ながらの御柱と
立ててぞ仰ぐ神の国
・・・
《作詞 本間雅晴 作曲 佐藤長助》
また、特攻隊の名称「大和隊」「朝日隊」「山桜隊」「敷島隊」にもなった、という曰く因縁のある歌です。
※「にほふ(匂う)」=鮮やかに色づく。色が美しく輝く。照り映える。
※「本間雅晴」=太平洋戦争においてフィリピン攻略戦を指揮した。英国通の人道主義者であったことは米軍にも知られているものの、戦後は「バターン死の行進」における部下の行為の責任を問われ、銃殺刑に処された。
・・・
「ヨウコウ」。
「オオシマザクラ」。
「オオカンザクラ」は既に葉桜ですが。隣には。
健気にも。
「ソメイヨシノ」。
むしろ足下には菜の花や他の草木が、春の訪れを。
そして「雅」。既に満開。
午後から晴れてきました。「ソメイヨシノ」が一斉に開花する勢い。
そして午後4時過ぎの隅田公園。
浅草側の隅田公園では。枝垂れ桜とスカイツリー。
こちら側もまだ。