お久しぶり。1年半くらい経つかしらね、もう。
去年の例会、ほら、奥多摩のあそこ。昔、行ったことがあって、行きたかったんだけど。
亭主の具合が悪くて・・・。
あれから間もなく、そう、去年10月に亡くなったわよ。
もう半年も経つのね。あっという間の感じ。
最期まで家で看取ったわよ。糖尿から透析ってなったんだけど、肝臓も悪くなって、透析できないって。
特に治療法もなくなっちゃって、本人が在宅がいい、と言うんで。
私も子供達もそうしようってなって。
娘が勤めている病院だったんで、そのへんはすんなり決めたわ。けっこう大変だって分かっていたけど。
最期は家で、っていうご本人の希望を叶えてあげたい、と。
私の8歳上だったから。
兄のやっていた金型加工の仕事を独立してやっていたのよね。こっちも子育てから事務までやらなきゃいけないでしょ。
もうそりゃ、大変だったわよ。こっちも乳がんをやったしね。
娘達二人も嫁いで、今は、長男だけ。
結婚、出産、育児、・・・そして、子供達の結婚でしょ。あっという間ね、振り返ってみると。
そう、孫の面倒も大変だったけど。もう、大学に、高校よ。
何とかかんとかやってこれたってわけよね。
親戚関係で幼なじみでもあったのよ、主人とは。
うちの実家も家内工業だったんで、仕事とか生活は何となく分かってはいたけどさ。
200坪の土地に家と工場を建てて・・・。必死に働いたわ、主人と一緒になって。
庭の手入れも大変よ、盆栽が趣味だったんで、いっぱい残っちゃった。まぁ、病気になって手入れも出来ずに、ほとんど枯らしてしまったけど。
木は枯れても、鉢があるでしょ。大きくて重いし。処分するのも大変。市に頼んで、少しは引き取って貰ったわ。
ほら、何とか焼きとか銘が入っているのは、価値があるらしいのね。でも、残りはどうするのって。あんな重たくてごついのを割って細かくするんだって、おおごとよ。
でも寂しいわよね。いつも、いつも隣にいた人がいなくなるって。
部屋の西と東に寝ていたのよね。それがいなくなったわけだから。
覚悟はしていたけれど、やっぱり寂しいわね。
背広だの何だの100キロまでは焼却するのは無料だっていうんで、車に積んで運んだわよ、そこまで。結局40キロくらいオーバーだった。
認知症が出てきたのよね。ほら、カップラーメンの作り方が分からなくなっちゃう、て話には聞くけど、本当なのね。
障害認定してもらうために申請して、それからしばらくして係の方が来ていろいろ調べて、それから1ヶ月よ、認定が下りてきたのが、「4」ということで。
でも、死ぬ4日前よ、その通知があったのが。さすがお役所仕事ね。
お寺さんは近所にもうお墓を買ってあったので、曹洞宗かな? お葬式は何とか。
向こうも親兄弟は、皆、亡くなっているし、こっちもそんな風だから、甥とか姪とかが来るだけだった。
でも、石屋さんに墓石を頼んだり、けっこう大変だった。
貯金? もう死ぬ前に名義はこっちに変更したわよ。死んだとたん、本人の預金がストップになるって話じゃない。
50万、50万って小出しに引き出して。銀行の人からはなんとか詐欺にひっかかったんじゃないかって心配されたけど。
200坪の半分近くは庭だし、私と息子じゃ草むしりも大変だし、どうしようかって思案中。
主人にはよくあちこち連れて行ってもらった、いい思い出だわ。・・・。
娘がいつもは夜になると帰るのよ、じゃあ又、明日って。自分の家族があるしね。ところが、その日は、今日泊まるカッコウで来たしって。
その翌日の朝よ、亡くなったのわ。虫の知らせってあるのかしらね。
肝臓が悪かったけど、黄疸も出なくて、きれいな顔で亡くなったわ。それは最高に良かった。苦しむわけでも無く。
そう、食事が食べられなくなったのね、まったく。食べなくなると1週間くらいで死ぬそうじゃない、そんなようすだった。
あっという間の半年だったわ。やっと落ち着いてきたかなって感じ。う~ん、まだかな。
こうやってお話させてもらって、聞いて貰ってありがとう。
主人を見送り、いつか自分も子供達に見送られ、・・・。
『そして誰もいなくなった』(原題: And Then There Were None)(アガサ・クリスティ作)! っていう感じ。
寂しいけど、これが人生なのよね。でも、私たち、もう少しだけ、人生を楽しみたいわよね。
・・・
スカイツリーがきれいによく見えるわね。まだ上まで上ったことがないのよ。今度、孫達を連れて来てみたいわ。
(「簾」HPより)
去年の例会、ほら、奥多摩のあそこ。昔、行ったことがあって、行きたかったんだけど。
亭主の具合が悪くて・・・。
あれから間もなく、そう、去年10月に亡くなったわよ。
もう半年も経つのね。あっという間の感じ。
最期まで家で看取ったわよ。糖尿から透析ってなったんだけど、肝臓も悪くなって、透析できないって。
特に治療法もなくなっちゃって、本人が在宅がいい、と言うんで。
私も子供達もそうしようってなって。
娘が勤めている病院だったんで、そのへんはすんなり決めたわ。けっこう大変だって分かっていたけど。
最期は家で、っていうご本人の希望を叶えてあげたい、と。
私の8歳上だったから。
兄のやっていた金型加工の仕事を独立してやっていたのよね。こっちも子育てから事務までやらなきゃいけないでしょ。
もうそりゃ、大変だったわよ。こっちも乳がんをやったしね。
娘達二人も嫁いで、今は、長男だけ。
結婚、出産、育児、・・・そして、子供達の結婚でしょ。あっという間ね、振り返ってみると。
そう、孫の面倒も大変だったけど。もう、大学に、高校よ。
何とかかんとかやってこれたってわけよね。
親戚関係で幼なじみでもあったのよ、主人とは。
うちの実家も家内工業だったんで、仕事とか生活は何となく分かってはいたけどさ。
200坪の土地に家と工場を建てて・・・。必死に働いたわ、主人と一緒になって。
庭の手入れも大変よ、盆栽が趣味だったんで、いっぱい残っちゃった。まぁ、病気になって手入れも出来ずに、ほとんど枯らしてしまったけど。
木は枯れても、鉢があるでしょ。大きくて重いし。処分するのも大変。市に頼んで、少しは引き取って貰ったわ。
ほら、何とか焼きとか銘が入っているのは、価値があるらしいのね。でも、残りはどうするのって。あんな重たくてごついのを割って細かくするんだって、おおごとよ。
でも寂しいわよね。いつも、いつも隣にいた人がいなくなるって。
部屋の西と東に寝ていたのよね。それがいなくなったわけだから。
覚悟はしていたけれど、やっぱり寂しいわね。
背広だの何だの100キロまでは焼却するのは無料だっていうんで、車に積んで運んだわよ、そこまで。結局40キロくらいオーバーだった。
認知症が出てきたのよね。ほら、カップラーメンの作り方が分からなくなっちゃう、て話には聞くけど、本当なのね。
障害認定してもらうために申請して、それからしばらくして係の方が来ていろいろ調べて、それから1ヶ月よ、認定が下りてきたのが、「4」ということで。
でも、死ぬ4日前よ、その通知があったのが。さすがお役所仕事ね。
お寺さんは近所にもうお墓を買ってあったので、曹洞宗かな? お葬式は何とか。
向こうも親兄弟は、皆、亡くなっているし、こっちもそんな風だから、甥とか姪とかが来るだけだった。
でも、石屋さんに墓石を頼んだり、けっこう大変だった。
貯金? もう死ぬ前に名義はこっちに変更したわよ。死んだとたん、本人の預金がストップになるって話じゃない。
50万、50万って小出しに引き出して。銀行の人からはなんとか詐欺にひっかかったんじゃないかって心配されたけど。
200坪の半分近くは庭だし、私と息子じゃ草むしりも大変だし、どうしようかって思案中。
主人にはよくあちこち連れて行ってもらった、いい思い出だわ。・・・。
娘がいつもは夜になると帰るのよ、じゃあ又、明日って。自分の家族があるしね。ところが、その日は、今日泊まるカッコウで来たしって。
その翌日の朝よ、亡くなったのわ。虫の知らせってあるのかしらね。
肝臓が悪かったけど、黄疸も出なくて、きれいな顔で亡くなったわ。それは最高に良かった。苦しむわけでも無く。
そう、食事が食べられなくなったのね、まったく。食べなくなると1週間くらいで死ぬそうじゃない、そんなようすだった。
あっという間の半年だったわ。やっと落ち着いてきたかなって感じ。う~ん、まだかな。
こうやってお話させてもらって、聞いて貰ってありがとう。
主人を見送り、いつか自分も子供達に見送られ、・・・。
『そして誰もいなくなった』(原題: And Then There Were None)(アガサ・クリスティ作)! っていう感じ。
寂しいけど、これが人生なのよね。でも、私たち、もう少しだけ、人生を楽しみたいわよね。
・・・
スカイツリーがきれいによく見えるわね。まだ上まで上ったことがないのよ。今度、孫達を連れて来てみたいわ。
