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Channel: おやじのつぶやき
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JR川越線「武蔵高萩」駅~東武東上線「東松山」駅。その5。(「日光千人同心街道」をゆく。第3日目。)

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                            「江戸時代のままの石橋」。

 通りを右手に進むと、「高済寺」。戦国時代に高坂館(やかた)があった場所とのこと。江戸時代には「高坂藩陣屋」となりました。
「高済寺」門前の「庚申塔」。

 この付近には「江戸時代のままの石橋」があるはずなので、都幾川河川敷の「リバーサイドパーク」内をうろうろしましたが、見つからず。工事中の係員に尋ねたところ、「この先のところにありますよ。ま、何の変哲もない橋ですよ。」と。
 (12:39)たしかにその通り。石橋のそばにはシートが無造作に置かれ、水の流れもさえない雰囲気。


ちょっとその上を歩いて、江戸時代を味わうことに。

解説板。
石橋及び石橋供養塔
 この石橋は、八王子・日光道が松山方面に抜ける「高坂の渡し」の手前の水路に設けられたもので、往時の姿のまま残されています。長さ約370㎝・幅約150㎝の一枚岩です。
 石橋供養塔は橋の新設や架け替えに際し、橋がいつまでも利用できることや通行人の安全を祈って造られたものです。現在は保存のため、原位置より北側に移されています。材質は安山岩で高さ約120㎝・幅約41㎝・奥行き約27㎝の角柱です。・・・左側面には、松山・行田・熊谷道の道標銘、・・・

そのそばに「石橋供養塔」。道標も兼ねています。

                            

 この先は旧道は河川敷内となって消滅するので、そのまま進んで、「国道407号線」に出て、「新東松山橋」を越えます。


旧道は左の河川敷から渡し場を経由し、右に抜けたようです。

 少し上流にある「東松山橋」を渡り、田んぼの中の道を歩く方もいますが・・・。


 (13:02)国道から右に入り、田んぼの中の道を進みます。国道には上下線とも車がひっきりなしに通るので、渡るのは大変危険です。
 
                                     旧道は田んぼの中を進んでいたようです。前方遠くの森は「将軍塚古墳」。



1880年代のようす。当時も現在も田んぼの中の一本道。



2010年代のようす。かつてのように田んぼの中の道。中央の直線道路は国道407号線。

一面、田んぼが広がっています。

 

 (13:15)県道に合流して少し右に進むと、「将軍塚古墳」。


                     
                         鬱蒼とした森の中にあります。
 近くにあった切り株に腰掛けて、休憩。
「農村センター」信号脇にある「野本村道路元標」。

しばらく静かな住宅街を進みます。

前にも見かけた大きなユズ? 

「上野本の獅子舞」解説板。江戸時代から続く伝統行事のようです。

(13:52)しだいに住宅が建て込んできます。この先が「若松町一丁目」五叉路に。



 コンビニ右横の道を進みます。途中には。

かつての街道筋らしいおうち。

 この先で、少し残っている旧道を歩いて、東武線「東松山」駅に向かいます。

 時間も早いですが、今回はここまで。(14:22)「東松山」駅は煉瓦造りで趣のある駅舎。 


                   

注:「深谷駅」駅舎は赤煉瓦の生産地という関連で、東京駅を模して造られています。

駅構内の案内図。→が街道。赤い線がその旧道。

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