白須の集落には立派な松や蔵のある家が並んでいます。
軒先には干し柿が。![]()
(10:20)しばらく進むと、台ヶ原の台地を抜け、前沢の集落へと下って行きます。正面には、「七里岩」。
![]()
晩秋の田園風景。刈入れの済んだ田畑、周囲の山々はちょうど紅葉の真っ盛り。
![]()
![]()
ゆるやかな上り坂。![]()
(10:35)中ほどにある「林屋商店」の古い方の建物
。
その先、左手にある句碑。![]()
玉斎吾七「槍もちの おくれて通る 日長かな」。
見事な紅葉。
集落をふりかえって望む。![]()
「前沢上」の交差点で「国道20号線」に合流します。![]()
国道に出てすぐ、「神宮川」に架かる「濁川橋」を渡ります。
神宮川の旧名は濁川。大雨が降ると流れが白く濁ったことが由来のようです。神宮川に沿って広大な敷地を保有するサントリーのウィスキー工場が出来た時、濁川から神宮川へ改名したそうです。明治神宮参道の玉砂利を献納していることから、住民の改名要望に企業イメージアップを図るため、サントリーが後押しし実現したと言われます。
国道から右手の道に入ります。
(10:51)街道沿いの左手にアカマツ。![]()
その先、右側には白州町の広大な総合グラウンド。
![]()
遠くに八ヶ岳。
この辺りの地名は「松原」。先ほどのような松並木があったのでしょうか?![]()
「荒田」の集落に入ります。![]()
足下のマンホールは「甲斐駒ヶ岳」のデザイン。![]()
手入れの行き届いたお庭。![]()
常夜燈。この地区には常夜燈が目につきます。![]()
(11:06)「荒田」地区。![]()
広々とした田園風景の中を進みます。
![]()
「八ヶ岳」。
旧道は、「教来石」に入ります。「教来石」という地名の起こりは2世紀、日本武尊の時代にまでさかのぼるようです。
教来石宿(きょうらいし)
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠7軒であった。教来石宿は、下教来石が本宿で上教来石は加宿であった。
村の西に教来石があり、高さ七尺(約2.1m)、竪三間(約5.4m)、横二間(約3.6m)の巨石である。昔は石の上に小祠があり日本武尊を祀ってあった。現在は近くの諏訪神社へ移設されている。日本武尊がこの石の上で休息したといわれ、村人が経(へ)て来石(こいし)と呼び、経を教と誤記したものと伝えられている。(この項、「人力(じんりき) - 旧街道ウォーキング」HPより)
ただし、上記の石かどうかは、定かではなさそう、何しろ2000年ほど昔のお話ですので。「酒折」宮などヤマトタケルノミコト(「古事記」では「倭建命」という表記)の東征説話にちなんで、甲州街道もまたご縁がありそうです。
(11:12)宿の入口にはリサイクルショップ。![]()
「流川橋」。ここから「下教来石」。
![]()
(11:18)まもなく国道に合流します。![]()
国道の左の高台に「明治天皇小休所址」碑。ここが宿の本陣だったのでしょう。
![]()
左手に駐在所、右手に郵便局。そこを右に入るのが旧道。(11:21)
![]()
軒先には干し柿が。

(10:20)しばらく進むと、台ヶ原の台地を抜け、前沢の集落へと下って行きます。正面には、「七里岩」。

晩秋の田園風景。刈入れの済んだ田畑、周囲の山々はちょうど紅葉の真っ盛り。


ゆるやかな上り坂。

(10:35)中ほどにある「林屋商店」の古い方の建物

その先、左手にある句碑。

玉斎吾七「槍もちの おくれて通る 日長かな」。

集落をふりかえって望む。

「前沢上」の交差点で「国道20号線」に合流します。

国道に出てすぐ、「神宮川」に架かる「濁川橋」を渡ります。
神宮川の旧名は濁川。大雨が降ると流れが白く濁ったことが由来のようです。神宮川に沿って広大な敷地を保有するサントリーのウィスキー工場が出来た時、濁川から神宮川へ改名したそうです。明治神宮参道の玉砂利を献納していることから、住民の改名要望に企業イメージアップを図るため、サントリーが後押しし実現したと言われます。

(10:51)街道沿いの左手にアカマツ。

その先、右側には白州町の広大な総合グラウンド。


この辺りの地名は「松原」。先ほどのような松並木があったのでしょうか?

「荒田」の集落に入ります。

足下のマンホールは「甲斐駒ヶ岳」のデザイン。

手入れの行き届いたお庭。

常夜燈。この地区には常夜燈が目につきます。

(11:06)「荒田」地区。

広々とした田園風景の中を進みます。


旧道は、「教来石」に入ります。「教来石」という地名の起こりは2世紀、日本武尊の時代にまでさかのぼるようです。
教来石宿(きょうらいし)
本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠7軒であった。教来石宿は、下教来石が本宿で上教来石は加宿であった。
村の西に教来石があり、高さ七尺(約2.1m)、竪三間(約5.4m)、横二間(約3.6m)の巨石である。昔は石の上に小祠があり日本武尊を祀ってあった。現在は近くの諏訪神社へ移設されている。日本武尊がこの石の上で休息したといわれ、村人が経(へ)て来石(こいし)と呼び、経を教と誤記したものと伝えられている。(この項、「人力(じんりき) - 旧街道ウォーキング」HPより)
ただし、上記の石かどうかは、定かではなさそう、何しろ2000年ほど昔のお話ですので。「酒折」宮などヤマトタケルノミコト(「古事記」では「倭建命」という表記)の東征説話にちなんで、甲州街道もまたご縁がありそうです。
(11:12)宿の入口にはリサイクルショップ。



(11:18)まもなく国道に合流します。

国道の左の高台に「明治天皇小休所址」碑。ここが宿の本陣だったのでしょう。

左手に駐在所、右手に郵便局。そこを右に入るのが旧道。(11:21)

