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Channel: おやじのつぶやき
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長岡~水戸。その1。(「水戸街道」をゆく。第6日目)

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 いよいよ「水戸街道」歩きも最終回。梅もほころび始めた「偕楽園」を最後に回ることにして、という算段。



 2月4日(土)。快晴。風も無く、冬にしては穏やかなお天気。
 石岡駅8:40発のバスに乗って前回の最終地点・「奥谷」までやってきました。9:20に出発です。
 「涸沼川」に架かる「高橋」を渡っていきます。





廃屋の屋根に猫が2匹。暖かい陽射しの下。


「小鶴橋」バス停。      

 (9:26)旧道は左に入って行きます。  

見事な造りの佐久間米店。


亀甲模様のなまこ壁の蔵。唐破風の飾り窓。

「こども屋」。昭和3年の建築。

石岡でも見かけた看板建築の一つ。

街並み。

来た道を振り返る。火の見櫓。

 (9:43)「諏訪神社」「如意輪寺」を過ぎて、涸沼前川に架かる「長岡橋」を渡ります。


 その先ですぐ右の旧道に。右手には藤屋製菓。「みそまんじゅう」が名物らしいが、味噌味ではないところが「ミソ」。


 注:まんじゅうの皮が茶色で「味噌」に似ているので「みそまんじゅう」と名付けられた。

 だんだん坂道を上がって行きます。途中、「水戸浪士毛塚」の案内表示があります。(右に向かうようです)
    

坂の右手に「高岡神社」。振り返って望む。

 水戸街道最後の宿場である「長岡宿」には旧脇本陣の木村家住宅が保存されています。門が閉まっていたので外側からパチリ。


藁葺き屋根の大きな建物。
    

木村家住宅
 江戸時代長岡宿の協本陣で、問屋(人や荷輸送)や庄屋を勤めていました。
協本陣は、大小名などが休泊した本陣の予備にあたる宿舎で、街街道駅に設けられていました。当家は、安政4年に(1857)の長岡宿の大火により消失、現在の建物はその後建設されたもので、改築はなく、カンナによる仕上げ、草葺きの屋根になっています。
 こうした協本陣は県内の宿場建築でも現存しているものが少なく希少価値があります。

                                 (上の写真を含め、「茨城町観光協会」HPより。)

裏手から。

古い門構えのおうち。

街道の左手には「みくらや」。かつての旅籠「中えびす屋」の跡?
        
                                         裏手に回ると大きな敷地。


宿内のようす。

 桜田門外の変・大老井伊直弼暗殺の発端は長岡宿。安政6年(1859)、水戸藩攘夷派数百人が長岡宿に屯集し、その中心人物らが薩摩藩の浪士とともに翌年3月、桜田門外の変を起こしました。先ほどの「毛塚」もそれにちなんだ史跡。

 しばらく進むと、左手に大きく立派な建物。「柏屋肥料店」。水戸街道沿いにはこうした肥料や種、農機具などを販売する、昔からのお店が目立ちます。




ここの梅はまだつぼみ。はたして「偕楽園」は? 


大きな鎮魂碑? 詳細不明。

 その後、「国道6号線」に合流します。それまでの6号線から上下線分離のかなり幅広い道路に。
    

 気がつくと「東京まで101㎞」ポスト。あともう少し。



1880年代のようす。中央が「長岡十字路」。「水戸街道」から分かれ、水戸へ通じる道が北西に延びている。



現在のようす。「国道6号線」と立体交差する県道。右下が「長岡宿」。

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