(11:10)しばらく進み、「市野沢」交差点の先、左手に「高野槙(コウヤマキ)」の大きな木が見えてきます。かなり目立つ樹木です。近づくと古木の雰囲気が。樹齢約400年ということは、江戸時代初期から奥州街道を行き交う人々を見続けてきたというわけです。
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与一の里おおたわら名木
名 称 小滝のコウヤマキ(一本)
所 在 地 小滝1103-3 主要地方道 大田原・芦野線(旧奥州街道)沿い
目 通 3.1メートル
樹 高 17.0メートル
推定樹齢 400年
平成三年三月二十六日 大田原市
コウヤマキ 1本 天然記念物(昭和36年3月22日指定)
樹 高 30メートル
目通り周囲 3.15メートル
推定樹齢 約400年
スギ科「コウヤマキ」紀州高野山に多きをもって名づけられる。江戸五街道の一つ奥州道中三マキの一と称せらる。
二つの解説板で、樹高がかなり異なっていますが。
振り返って望む。
かつては世界中に広く分布していましたが、現在は、日本と韓国済州島にだけ残存している樹木らしい。
路傍の石仏。![]()
相変わらず単調な道のりですが、周囲には田園風景が広がり、道沿いには秋の花が咲いて、自然と足取りもはかどります。
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(11:23)「市野沢郵便局」の手前、右手に「弘法大師の句碑」といっても、江戸時代につくられたと言う句? その隣にある句碑がよかった!
「気に入らぬ 風もあろうが 糸柳 大正五年入学生 七十歳記念」
(11:26)相の川に架かる「高野橋」を渡ります。
左手にポツンと「麻疹地蔵堂」。![]()
昔、この地域で麻疹が流行し、多くの幼児が亡くなりました。そのことを哀れんで地蔵を納めた、といいます。
「練貫(ねりぬき)」十字路(交差点)。![]()
(11:46)その先、左手に「永代常夜燈」や「十九夜塔」などが建っています。その脇には新しい道標もあります。
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振り返って望む。
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緩やかにアップダウンする道。周囲は畑? 道は小さく切り崩したところを進みます。前途の様子がよく分からないよう道。周囲は小高い丘。はたしてどうなっているでしょうか?
行き交う人もまったくいません。
(11:52)しばらく行くと、左手に「明治天皇駐輦記念碑」。![]()
この先もこんな感じで進みます。かつてはもっと上り下りが激しかった道のようです。
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白鳥の飛来する「羽田沼」への案内板。![]()
(12:03)「那須塩原市」となります。![]()
前方に「なべかけまつり」の幟。![]()
鍋掛公民館 なべかけまつり
《開催日》平成28年 11月6日(日曜日) 《会場》鍋掛公民館グランド 《時間》午前9時から午後2時まで
《内容》農産物の直売、牛乳試飲、餅つき実演販売、なべかけ鍋と手打ちうどんの販売、地元商工会出店、お楽しみ抽選会、バルーンマジック、おさるのしんちゃん、ステージ発表(児童のコーラス・和太鼓、フラダンス、大正琴、ウクレレ演奏、カラオケ大会)など。
(
HPより)
集落(「鍋掛宿」)はまだまだ遠そう。![]()
ここにも石仏。![]()
鍋掛の集落に入っていきます。奥から子ども達の声。![]()
(12:29)手入れの行き届いた庭先。
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「樋沢神社」をいつしか通り過ぎてしまいます。そこには、「八幡太郎義家愛馬の蹄跡」の岩、「葛籠(つづら)石」という大きな石があるそうです。その先には、
「樋沢の不動明王像(お不動様)」解説板。
平成26年3月に建てられたものですが、建てた団体が「鍋掛地域車座談義運営委員会」というのが面白い。
「伝説の大うなぎ 樋沢の大沼」。
朽ち果てたラブホテル「不夜城」。
(12:45)左手に「鍋掛の一里塚」の標識があり、石段を上った、右のところに一里塚があります。階段は「鍋掛神社」の参道にもなっています。
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階段を登る前の石垣のところに山栗がたくさん落ちていたので、少し栗拾いをしました。
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市指定文化財 鍋掛の一里塚(史跡)
江戸時代、全国の主要な街道に日本橋を基点として一里毎にその目印として築かれた塚で、ここ鍋掛愛宕峠の塚は奥州街道41番目のもので、江戸より41里(約160キロメートル)の距離を示す塚である。(鍋掛宿誌)
当時の旅人の目印として、そして休憩地として親しまれていたそうである。
『野間の大野家文書』には、慶長9年甲辰(1604)に築かれたという記録が残っている。
もとは、ここより約11メートルほど東側にあったが、道路の拡張工事等により現在地に移された(平成6年3月)
また、かつては街道の南側にも塚があったが、現在では残っていない。
昭和44年1月1日指定
那須塩原市教育委員会
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一里塚より「奥州街道」を見下ろす。 南側のようす。


与一の里おおたわら名木
名 称 小滝のコウヤマキ(一本)
所 在 地 小滝1103-3 主要地方道 大田原・芦野線(旧奥州街道)沿い
目 通 3.1メートル
樹 高 17.0メートル
推定樹齢 400年
平成三年三月二十六日 大田原市
コウヤマキ 1本 天然記念物(昭和36年3月22日指定)
樹 高 30メートル
目通り周囲 3.15メートル
推定樹齢 約400年
スギ科「コウヤマキ」紀州高野山に多きをもって名づけられる。江戸五街道の一つ奥州道中三マキの一と称せらる。
二つの解説板で、樹高がかなり異なっていますが。

かつては世界中に広く分布していましたが、現在は、日本と韓国済州島にだけ残存している樹木らしい。
路傍の石仏。

相変わらず単調な道のりですが、周囲には田園風景が広がり、道沿いには秋の花が咲いて、自然と足取りもはかどります。


(11:23)「市野沢郵便局」の手前、右手に「弘法大師の句碑」といっても、江戸時代につくられたと言う句? その隣にある句碑がよかった!


左手にポツンと「麻疹地蔵堂」。

昔、この地域で麻疹が流行し、多くの幼児が亡くなりました。そのことを哀れんで地蔵を納めた、といいます。
「練貫(ねりぬき)」十字路(交差点)。

(11:46)その先、左手に「永代常夜燈」や「十九夜塔」などが建っています。その脇には新しい道標もあります。





緩やかにアップダウンする道。周囲は畑? 道は小さく切り崩したところを進みます。前途の様子がよく分からないよう道。周囲は小高い丘。はたしてどうなっているでしょうか?
行き交う人もまったくいません。
(11:52)しばらく行くと、左手に「明治天皇駐輦記念碑」。

この先もこんな感じで進みます。かつてはもっと上り下りが激しかった道のようです。


白鳥の飛来する「羽田沼」への案内板。

(12:03)「那須塩原市」となります。

前方に「なべかけまつり」の幟。

鍋掛公民館 なべかけまつり
《開催日》平成28年 11月6日(日曜日) 《会場》鍋掛公民館グランド 《時間》午前9時から午後2時まで
《内容》農産物の直売、牛乳試飲、餅つき実演販売、なべかけ鍋と手打ちうどんの販売、地元商工会出店、お楽しみ抽選会、バルーンマジック、おさるのしんちゃん、ステージ発表(児童のコーラス・和太鼓、フラダンス、大正琴、ウクレレ演奏、カラオケ大会)など。


集落(「鍋掛宿」)はまだまだ遠そう。

ここにも石仏。

鍋掛の集落に入っていきます。奥から子ども達の声。

(12:29)手入れの行き届いた庭先。


「樋沢神社」をいつしか通り過ぎてしまいます。そこには、「八幡太郎義家愛馬の蹄跡」の岩、「葛籠(つづら)石」という大きな石があるそうです。その先には、

平成26年3月に建てられたものですが、建てた団体が「鍋掛地域車座談義運営委員会」というのが面白い。


(12:45)左手に「鍋掛の一里塚」の標識があり、石段を上った、右のところに一里塚があります。階段は「鍋掛神社」の参道にもなっています。


階段を登る前の石垣のところに山栗がたくさん落ちていたので、少し栗拾いをしました。

市指定文化財 鍋掛の一里塚(史跡)
江戸時代、全国の主要な街道に日本橋を基点として一里毎にその目印として築かれた塚で、ここ鍋掛愛宕峠の塚は奥州街道41番目のもので、江戸より41里(約160キロメートル)の距離を示す塚である。(鍋掛宿誌)
当時の旅人の目印として、そして休憩地として親しまれていたそうである。
『野間の大野家文書』には、慶長9年甲辰(1604)に築かれたという記録が残っている。
もとは、ここより約11メートルほど東側にあったが、道路の拡張工事等により現在地に移された(平成6年3月)
また、かつては街道の南側にも塚があったが、現在では残っていない。
昭和44年1月1日指定
那須塩原市教育委員会


一里塚より「奥州街道」を見下ろす。 南側のようす。