ここでは、吉本隆明、大江健三郎、村上春樹という3人を採りあげて「反核」への姿勢を検証している。ヒロシマ、ナガサキとフクシマとを結ぶ「反核」、その歴史の間にはスリーマイル島、チェルノブイリの二つの大きな原発事故を含め、「反原水爆」さらには「反原発」運動に関わってきた筆者の、長年の痛切な思いが込められている書。
そうした視点から、特に吉本隆明の「反・反核」思想、原発容認論を手厳しく批判、糾弾。また、村上春樹の「反核スピーチ」に込められた、戦後の反核運動への無知と誤解を厳しく追及する。
吉本隆明が死んだとき、マスコミにあふれた「知の巨人」との賞賛。そのことへの違和感。
彼が60年代の新左翼運動の興隆の中で、「反スタ(ソ連型社会主義の限界と展望)」という切り口が学生・大衆に受け入れられ、思想界(左翼)を席巻したいったとき以来、「敵の敵は味方」式の論戦術の上に立って「核兵器」と「原発」を区別し、文学者の「反核」署名・提起を批判するあまり、ついには、「原発擁護、推進」に立ち至った生前の言動を厳しく分析しています。
また村上春樹。英米文学、とりわけ「核」時代にあって反核(核兵器、原発)を扱った「ニュークリア・エイジ」「極北」など先駆的な作品の翻訳者として、いったい何を学んできたのかという視点から、戦後の反核兵器運動、さらには反原発運動という歴史を捨象したスピーチに怒りを込めて追及していく。
吉本の立場、特にすんでのところで命拾いをした以降の晩年の吉本の言動、3・11にかかわる発言に少なからず違和感を感じていた私。「反・反核」にこだわるあまり、フクシマ原発事故以後、ますます原発推進、擁護の旗振りをしてしまった吉本隆明の思想家としての虚像を暴き出した感がする。
村上の巧みな言動。本を発刊するたびにベストセラーにする、その事前から事後、資本主義(市場)への見事な対応(売り方)さにこれまた斜に構えて見ていた私。その夢想家ぶりを明らかにしていくことで、少し納得した。
大江健三郎はそうした二人に比べ「ヒロシマノート」以来、一貫した反核(反原水爆、反原発)思想にゆるぎなく具体的な運動にかかわっていることを賞賛する。
この書。ありていに言えば(反対の立場=原発推進、核武装推進からすれば、さらに吉本信奉者、村上ファンにすれば、そして大江嫌いの人たちからすれば)、所詮、まさに「ひかれ者の小唄」かもしれない。
が、まだ二年が過ぎたばかりなのに、フクシマ原発(東日本大震災)事故がすでに風化しつつある(むしろ意図的にそうして、いまだに厳しい現実をうやむやにし、原発再稼働にひたすら奔走する)現在にあって、「反核」の原点に立ち戻る(ってもらいたい)という筆者の思いが切実に伝わってくる。自公が圧勝するという予想の参院選。しかし、選挙後もまだあきらめてはいけない、と自らを励ましつつ。
そうした視点から、特に吉本隆明の「反・反核」思想、原発容認論を手厳しく批判、糾弾。また、村上春樹の「反核スピーチ」に込められた、戦後の反核運動への無知と誤解を厳しく追及する。
吉本隆明が死んだとき、マスコミにあふれた「知の巨人」との賞賛。そのことへの違和感。
彼が60年代の新左翼運動の興隆の中で、「反スタ(ソ連型社会主義の限界と展望)」という切り口が学生・大衆に受け入れられ、思想界(左翼)を席巻したいったとき以来、「敵の敵は味方」式の論戦術の上に立って「核兵器」と「原発」を区別し、文学者の「反核」署名・提起を批判するあまり、ついには、「原発擁護、推進」に立ち至った生前の言動を厳しく分析しています。
また村上春樹。英米文学、とりわけ「核」時代にあって反核(核兵器、原発)を扱った「ニュークリア・エイジ」「極北」など先駆的な作品の翻訳者として、いったい何を学んできたのかという視点から、戦後の反核兵器運動、さらには反原発運動という歴史を捨象したスピーチに怒りを込めて追及していく。
吉本の立場、特にすんでのところで命拾いをした以降の晩年の吉本の言動、3・11にかかわる発言に少なからず違和感を感じていた私。「反・反核」にこだわるあまり、フクシマ原発事故以後、ますます原発推進、擁護の旗振りをしてしまった吉本隆明の思想家としての虚像を暴き出した感がする。
村上の巧みな言動。本を発刊するたびにベストセラーにする、その事前から事後、資本主義(市場)への見事な対応(売り方)さにこれまた斜に構えて見ていた私。その夢想家ぶりを明らかにしていくことで、少し納得した。
大江健三郎はそうした二人に比べ「ヒロシマノート」以来、一貫した反核(反原水爆、反原発)思想にゆるぎなく具体的な運動にかかわっていることを賞賛する。
この書。ありていに言えば(反対の立場=原発推進、核武装推進からすれば、さらに吉本信奉者、村上ファンにすれば、そして大江嫌いの人たちからすれば)、所詮、まさに「ひかれ者の小唄」かもしれない。
が、まだ二年が過ぎたばかりなのに、フクシマ原発(東日本大震災)事故がすでに風化しつつある(むしろ意図的にそうして、いまだに厳しい現実をうやむやにし、原発再稼働にひたすら奔走する)現在にあって、「反核」の原点に立ち戻る(ってもらいたい)という筆者の思いが切実に伝わってくる。自公が圧勝するという予想の参院選。しかし、選挙後もまだあきらめてはいけない、と自らを励ましつつ。