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Channel: おやじのつぶやき
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さいたま副都心駅から馬室原一里塚まで。その2。(旧中山道をゆく。第3日目。)

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 「16号線」を越えた右手の「宮原小学校」に樹齢100年以上という「センダン(栴檀)」の大木がありました。「センダンは双葉より芳し」といいますが、「双葉より芳し」いのはこの木ではなくて、インド原産のビャクダン(白檀)のようです。そうであっても、小学校のところにあるので、やはり「双葉より芳し」といういわれにあやかりたい気がします。

 

冠木門があるしゃれたお店。

「南方神社」を過ぎて、そろそろ小休止を、と。(11:20)ちょうど右手に「さいたま市宮原コミュニティーセンター」があったので、トイレ休憩を兼ねて。

(11:40)その先、左手に。「河村屋」。

 江戸文化文政期に地酒「養老の瀧」の取り扱いを行い、その酒粕を利用して粕漬を創り出しましたのが「創作漬物 河村屋」の始まりです。
 八代目恒八郎から代々伝わる商いの基として「時代の移り変わる中で、常に『変えるべ きもの』と『変えてはいけないもの』があることを見極め、「お客様の役に立つ漬物」を世に出すと言う、信念を持ち、その時代の流れに即した対応を取ることが肝要である。」 と教えられ、河村屋九代目として、これを社の基本理念とし、今も守り続けております。
・・・
私たちは、お客様と商品に常に真摯に向き合います。
当社の精神を最大限表現する場として、直営店を営業させて頂いております。お近くにお寄りの際には、どうぞお店に足を延ばしていただき、お客様の目と舌で当社の漬物を味わい、評価してください。それは、当社にとって何よりの喜びであり、より美味しく品質の高い商品を創る源となります。

(以上、「」HPより)

    
                            「ギャラリーかわむら」
「ギャラリーかわむら」は、大宮本店の向かい側にあります旧本店を地域の皆様にご利用いただきたいと思い、ギャラリースペースとして貸し出しを始めました。展示会や発表会などにご利用いただけます。
 平成5年に埼玉県景観賞を受賞した数奇屋造りの純和風建物で、屋内は静かで落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
・・・
(「同」HPより)

すぐ先で「さいたま市(大宮)」から「上尾市」に。 

    

 バス停のすぐ脇にある「庚申塔」。川越への分岐点にもなっていて、正面には青面金剛が彫られ横に「是より秋葉へ十二町 ひご方へ壱里八町 川越へ三里」と刻まれています。

歩道には「中山道」の表示。道沿いに表示されています。


1880年代のようす(「歴史的農業環境閲覧システム」より)。
                          ←が「庚申塔」付近。



都市計画が進行中の沿道。

 上尾の中心街に入っていきますが、街道筋らしい古いおうちも残されています。
 


 「上尾」駅前に向かいます。この付近に「一里塚」があったようですが、その痕跡はまったくありません。

 「藤村病院」の道路を挟んだ向かい側に「氷川鍬神社」。上尾宿の鎮守で、地元では「お鍬さま」と呼ばれています。
 伝説によれば、寛永8年(1631年)桶川宿方より来た童子が引いていた櫃が上尾宿本陣前で動かなくなり、童子はいずこかへ消え失せた。 翌正月に櫃を開けてみると、鍬2本と稲穂があり、鍬2本を神体として本陣前に社を建立して祀ったのが創建の経緯と伝えられます。長く、御鍬太神宮(おくわだいじんぐう)と呼ばれてきました。

その門前に「上尾宿」の解説板。

中山道上尾宿と本陣

 上尾市の市街の中心は、中山道にそった上尾宿をその源にしていますが、この揚げを宿はすでに後北条時代に宿駅として成立したようです。宿駅として整備されたのは、慶長8年(1603)の伝馬制施行以降のことです。幕府は中山道各宿駅に、50人50匹の人馬を用意させ、主要幹線路としての役割をはたさせました。
 また、各宿に本陣・脇本陣を置いて大名などの宿泊所としました。中山道を通行した大名は加賀藩の前田家をはじめ、34家ほどでした上尾宿は、中山道の中では比較的小さな宿場でした。江戸時代末の家数は、182軒、人口は793人、旅籠屋は、41軒でした。
 図は文化3年(1806)完成の「中山道分間延絵図」に描かれた中山道上尾宿の中心部です。中央の太い道筋が中山道で、画面右が大宮方面、左が桶川方面になります。画面下側中央の鳥居が鍬大神宮(今の氷川鍬神社)、鍬大神宮の正面に本陣があり、その両側に脇本陣が二軒あります。その右近くには問屋場、さらに右に行くと道をはさんで両側に一里塚があります。鍬大神宮のすぐ右側にもう一軒の脇本陣が描かれています。上尾宿には本陣が一軒(林八郎右右衛門)、脇本陣が三軒(本陣右が白石長左エ門、左が井上五郎右右衛門、向かいが細井弥一郎)ありました。これらは主として参勤交代の大名たちの宿で、本陣のことは「大名宿」とも呼ばれました。脇本陣は副本陣のような性格をもち、本陣の代理もしました。

 平成11年3月    上尾市教育委員会 埼玉県北本県土整備事務所

 「Wikipedia」で補足します。
 
 「上尾」は幕府直轄領(通称:天領)。町並みは10町10間(約1.1km)。
 現在の仲町付近が上尾宿の中心で、本陣・脇本陣・問屋場・高札場などはここに集中していた。 比較的小さな宿場であったが、本陣の規模は信濃国・塩尻宿のものに次ぐ大きさを誇った。
 上尾宿は江戸を出立してからおよそ10里の地点にあり、日本橋を七つ立ちしていれば、上尾宿で最初の宿を探すことになる。そのため、周辺の宿場より旅籠が多く、天保の頃で41軒と賑わっていた。 また、飯盛旅籠(めしもり-はたご)も多い。『中山道宿村大概帳』には飯盛女の数49人とあり、これを目当てに川越や岩槻あたりからやってくる遊び客も少なくなかったという。茶屋も数軒あり。
 地名は戦国時代からある郷村名で、高台の田(上田)端の意であろうとされる。
 当地は、鎌倉時代には源頼朝配下の武将・足立遠元、戦国時代には後北条氏配下の岩槻城主・太田氏の支配下にあった。 後北条時代、既に宿駅として成立していたが、近世・江戸時代以降の宿場は慶長8年(1603年)に指定されたものである。 荒川の舟運が開かれ、江戸と結ぶ流通の要衝となった。複数の脇往還が交差する地点で、米の積み出しの拠点でもあった。
安政6年(万延元年、西暦1860年)には大火に見舞われ、このとき、多くの歴史的建造物を焼失している。
・・・

そこから北(上尾駅前)方向を望む。

(12:15)駅前に到着。ベンチで昼食休憩。

「中山道 上尾宿」の表示。

「上町の庚申塔」先から来た道を振り返って望む。

 その先右手に「文楽東蔵(ぶんらくあずまぐら)」。ずいぶんとおしゃれなお店です。2008(平成20)年、軽井沢にある「川上庵」の支店が、「東蔵」の名前でオープンしたようです。Jazzが流れる中、おいしい蕎麦とおいしいお酒を楽しめるお店、らしいです。



株式会社 文楽
 創業110余年の歴史を有する“酒蔵・文楽”
 創業者である北西亀吉は、荒川水系の伏流水が豊富に湧き出るこの埼玉の地で、明治27年に日本酒の醸造をはじめました。
 日本の伝統芸能である“文楽”の名前を持つこの酒蔵には、義太夫・三味線・人形遣いの三位一体の精神を、米・水・麹で造りだす日本酒に生かしたいとの思いが込められております。
 そして平成19年 秋、“酒蔵・文楽”は新しい蔵を建設。創業以来守り抜いた伝統の技と、近代的な設備の調和の中で、「伝統と先進」の体制が整い、新たな“酒蔵・文楽”がスタートいたしました。
 社屋の1Fには蕎麦レストラン、「東蔵」を併設。美味しいお料理と蔵出しの日本酒を贅沢な空間でお楽しみいただけます。
 皆様のお越しをお待ちしております。

(「」HPより)

 こういうお店があることが分かっていたら、ここでランチをすればよかった!

と、そうこうしているうちに、「上尾宿」の北のはずれに。「彩の国 平成の道標」。

    
                                       瓦屋根の上には、「鍾馗様」が。

上尾宿の歴史 
 上尾宿は、日本橋から9里16町のところにあり、中山道の5番目の宿場であります。宿場として発達したのは、江戸時代初期の伝馬制施行以降であり、江戸後期になると紅花の産地として有名になりました。上尾という地名については歴史的な根拠を持つものはありませんが、鴨川と芝川の間の小高い地形からつけられたといわれています。

①「木曽街道上尾宿加茂之宮」渓齋英泉作
 鉄鋼脚絆にわらじがけで、道中笠をかぶった武士、文箱のようなものをかついだ飛脚、こもを背負った六部などの旅姿が描かれています。この作品は、大宮宿と上尾宿の中間にある加茂神社を描いたものです。

②鶴亀の松
 鎌倉街道と中山道が交差するあたりに、土手松の呼び名で知られた2本の老松がありました。一方を鶴松、他方を亀松と称し、街道筋でかなり目立った存在でした。

③「五海道中細見記」の上尾宿付近
 上尾と書かれた下部には、鍬大明神(現在の氷川鍬神社)が、その左には高札場の印と細井、井上の両脇本陣の名が記されています。また、上尾宿と大宮宿の間には英泉の「木曽街道」にも描かれている加茂社もみられます。

④鍾馗様(しょうきさま)
 鬼屋根瓦の家に対して鍾馗様を以て対峙する意味で置いていたものです。これは中山道の他の宿場町では見ることができない上尾特有のものでした。鍾馗様は疫病神を追い払う神といわれています。

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