1923年(大正12年)9月1日午前11時58分、南関東地方は大震災に見舞われた。マグニチュード7.9、震源地は東京から南々西約100キロの相模湾海底。
被害は1府9県に及び、死者9万9千人、行方不明者4万3千人、家屋全壊12万8千戸、半壊12万6千戸、津波による流失870戸、焼失44万7千戸、焼失した市街地面積4780ヘクタール。東京の火災は3日午前10時頃ようやく鎮火した。(著者の引用資料による。便宜上、数字はおおよそのものにした)。
こうした「関東大震災」の大混乱の中で引き起こされた、「朝鮮人虐殺事件」「亀戸事件」「大杉栄殺害事件」は、不当な虐殺事件としてよく知られている。
そうした中で、筆者は、日本在住の中国人のためのセツルメント活動をおこなっていた「王希天」の死の真相に迫っていく中で、朝鮮人や社会主義者への日本人及び官憲による虐殺とともに、多くの中国人が殺害された事実を明らかにしていく。
震火災による死者・行方不明者約14万人余のうち、約8,000人は、戒厳令と流言飛語によってパニックに陥った群集心理の相乗作用によって引き起こされた「不当殺人」の犠牲であり、その大部分は朝鮮人だが、400人以上の中国人、数百人単位の日本人も含まれていた、という。
そして、中国人虐殺が集中的におこなわれたのは、東京府下南葛飾郡大島町(現在の江東区大島、亀戸。JR「亀戸駅」南東)だった、と地図入りで紹介し、王希天の殺害現場を明示している。
当時、日本国内での朝鮮人―「日韓併合」によって植民地化された―と、中国人―当時は「中華民国」の国民―の置かれた立場(状況)の決定的な違いから、中国との外交問題になってしまったとき、朝鮮人と「誤って」中国人たちを殺した(誤殺であった!)、という言い訳(居直り)をする日本政府関係者。王希天についても、いったん収容した(多くの中国人、朝鮮人とともに)警察から釈放した後の行方は知らない、と言い逃れする。
「行方不明」になった王希天を捜索するために亀戸に赴く中国人同胞。そうした中で、知らぬ存ぜぬとしらを切りつづけた軍部と警察当局は、中国との外交問題化になると見るや、軍当局(戒厳令下の)、警察(亀戸警察)、さらに政府を巻き込んでの大がかりな隠蔽工作を行う。
こうして、いつしか「王希天事件」は歴史の闇の中に消えてしまった!
筆者は、そうした過去の歴史の暗部を、とりわけ中国人虐殺の真実を調査し、ついに王希天殺害の真犯人(直接手を下した者)を突き止める。そこに至るまでの、資料発掘、証言の収集など日本政府の欺瞞をくつがえす新資料の発見(アメリカの国会図書館に眠っていた資料など)、さらに、加害者へのインタビュー、・・・。関東大震災の時の朝鮮人、社会主義者への虐殺に忘れ去られた中国人虐殺、その典型としての王希天にたいする虐殺を浮き彫りにしていく。
筆者の、真相に迫ろうとする執念は、けっして加害者をあぶりだすことにとどまらず、当時の日本の官憲の実態、一般日本人が陥った群衆心理、軍をはじめとする権力構造、それらが今もなおまったく無縁のものではないことを訴えている。
王希天殺害現場は、旧中川に架かる「逆井(さかさい)橋」付近であった、という。
逆井橋。
被害は1府9県に及び、死者9万9千人、行方不明者4万3千人、家屋全壊12万8千戸、半壊12万6千戸、津波による流失870戸、焼失44万7千戸、焼失した市街地面積4780ヘクタール。東京の火災は3日午前10時頃ようやく鎮火した。(著者の引用資料による。便宜上、数字はおおよそのものにした)。
こうした「関東大震災」の大混乱の中で引き起こされた、「朝鮮人虐殺事件」「亀戸事件」「大杉栄殺害事件」は、不当な虐殺事件としてよく知られている。
そうした中で、筆者は、日本在住の中国人のためのセツルメント活動をおこなっていた「王希天」の死の真相に迫っていく中で、朝鮮人や社会主義者への日本人及び官憲による虐殺とともに、多くの中国人が殺害された事実を明らかにしていく。
震火災による死者・行方不明者約14万人余のうち、約8,000人は、戒厳令と流言飛語によってパニックに陥った群集心理の相乗作用によって引き起こされた「不当殺人」の犠牲であり、その大部分は朝鮮人だが、400人以上の中国人、数百人単位の日本人も含まれていた、という。
そして、中国人虐殺が集中的におこなわれたのは、東京府下南葛飾郡大島町(現在の江東区大島、亀戸。JR「亀戸駅」南東)だった、と地図入りで紹介し、王希天の殺害現場を明示している。
当時、日本国内での朝鮮人―「日韓併合」によって植民地化された―と、中国人―当時は「中華民国」の国民―の置かれた立場(状況)の決定的な違いから、中国との外交問題になってしまったとき、朝鮮人と「誤って」中国人たちを殺した(誤殺であった!)、という言い訳(居直り)をする日本政府関係者。王希天についても、いったん収容した(多くの中国人、朝鮮人とともに)警察から釈放した後の行方は知らない、と言い逃れする。
「行方不明」になった王希天を捜索するために亀戸に赴く中国人同胞。そうした中で、知らぬ存ぜぬとしらを切りつづけた軍部と警察当局は、中国との外交問題化になると見るや、軍当局(戒厳令下の)、警察(亀戸警察)、さらに政府を巻き込んでの大がかりな隠蔽工作を行う。
こうして、いつしか「王希天事件」は歴史の闇の中に消えてしまった!
筆者は、そうした過去の歴史の暗部を、とりわけ中国人虐殺の真実を調査し、ついに王希天殺害の真犯人(直接手を下した者)を突き止める。そこに至るまでの、資料発掘、証言の収集など日本政府の欺瞞をくつがえす新資料の発見(アメリカの国会図書館に眠っていた資料など)、さらに、加害者へのインタビュー、・・・。関東大震災の時の朝鮮人、社会主義者への虐殺に忘れ去られた中国人虐殺、その典型としての王希天にたいする虐殺を浮き彫りにしていく。
筆者の、真相に迫ろうとする執念は、けっして加害者をあぶりだすことにとどまらず、当時の日本の官憲の実態、一般日本人が陥った群衆心理、軍をはじめとする権力構造、それらが今もなおまったく無縁のものではないことを訴えている。
王希天殺害現場は、旧中川に架かる「逆井(さかさい)橋」付近であった、という。
