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Channel: おやじのつぶやき
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小田急江ノ島線・桜ケ丘駅~JR相模線・寒川駅。その5。長屋門。旧道。日産工機。「中原街道」解説板。(「中原街道」をゆく。第5日目。)

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「大蔵」バス停。

この先、左手に大きなお屋敷。立派な長屋門。

来た道を振り返る。

二叉になっていて、右の細い道・旧道を進みます。

分岐点の今昔。(現在)(1880年代)

                            旧中原街道は、直線で続いている。

高座郡・寒川町のマンホール。

町の花「水仙」をデザイン。下部に「さむかわ」「おすい」の文字。

すぐ「日産工機」工場の敷地にぶつかります。

         

工場のフェンス沿いに進み、左折します。

「寒川小学校前」交差点。

二叉になっている、右手を進みます。

           

坂道を下っていくと、墓地の脇に、

「中原街道」解説板。

江戸虎ノ門(東京都港区)を起点に中原(平塚市)に至る脇街道で、寒川町内では大蔵・小谷・岡田・一之宮を通り、田村の渡しで相模川を越えました。
古代・中世にもこのルートを通る道があったとされますが、江戸時代初期に徳川家康が鷹狩りの拠点である中原御殿や、駿府静岡市)への往復に頻繁に通行するようになり、中原街道として整備されました。江戸時代中期以降は物資輸送にも広く利用され、中でも中原近在で生産した「成瀬酢」を江戸へ運ぶのに使われたため「お酢街道」の別称もありました。
町内では、ここ宮山の根岸地区や、小谷などに江戸時代の街道の名残をみることができます。

平成三十年三月 寒川町教育委員会

振り返る。

坂道を下って行きます。

※マンホールは、中央に町章、その下に「汚水」の文字入り亀甲模様。

この付近の今昔。

(現在)この先、旧道は消滅?  (1880年代)  

                                           細い直線の道。

※今回歩いた道は、墓地脇に「中原街道」の案内板があった道でした。

いつも参考にしている「歴史的農業環境閲覧システム」1880年代では、現在の中原街道がすでに本道として確立しています。

今回歩いた旧道は細い道ですが、直線で続いています。当初の街道の道筋であるようです。

しかし、この先、相模川・田村の渡しへの道は定かではなくなっています。※相模川の流路変遷が複雑。

JR相模線の踏切へ。左へ折れると「寒川駅」に。

しかし、駅に向かう前に、右に折れていきます。実は、廃線跡があります。次回、番外編で紹介。そして、意外な展開に。


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