丹沢の向こうに富士山。
「宗川(そうせん)寺」。
宗川寺は寛永2年(1625)富士重須本門寺第十二世日賢上人開山、開基は石川宗川。
山門を入ると左右の夫婦銀杏は昔から縁結び、安産祈願の信仰を受け、近所より多くの参詣があり、いまは横浜市の名木と指定された大樹である。
「宗川寺」バス停。
中原街道瀬谷問屋場跡
中原街道瀬谷問屋場は天正6年(1578年)小田原北條氏の関東経営の駅路として、中原街道瀬谷に問屋場が設けられ、のち徳川氏の江戸開府により駿河国山宮西谷の住人石川彌次右衛門重久(虎之助)が問屋場の運営を幕府より託され、江戸ー平塚間五駅の中宿、瀬谷駅の問屋場として、江戸時代270年にわたって、中原往還の道筋の人馬諸貨物の運送、継立てにその役割を果した。(これより東方80米、桧林がその跡である。)(瀬谷区役所掲示より)
「境川」に架かる「新道大橋(しんみちおおはし)」が見えてきます。
上流方向。
下流方向。
「新道大橋」。
欄干の照明灯が洋風。
振り返る。「横浜市瀬谷区」。
「境川」は、源流から河口(江ノ島)まで歩いたことがあります。
※源流から町田市先までは「都県境」(東京都と神奈川県の境)。中流から、神奈川県内を流れる。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/9d/e99fdbd3bfc2dffc0589bf4506e7462b.png">
境川は、県北部の城山湖付近を源として都県境を南下し、藤沢市の江ノ島付近で相模湾に注ぐ、流域面積約211平方キロメートル、延長約52キロメートルの二級河川です。
片瀬橋から河口を望む。江ノ島を望む。
その時の写真(右岸沿いから見た「新道大橋」)。
「大和市」へ。
上り坂が目の前に。この付近から、道路の拡幅工事が大がかりに行われています。
来た道を振り返る。
けっこう上ってきたようです。
自転車が必死に。下りも大変そう。
「都市計画道路丸子中山茅ヶ崎線街路整備事業」。大和市内の県道45号線の4車線化事業のようです。
坂を上ると、丘陵へ。
心なしか富士山が大きく見えてきます。
「桜並木歩道橋」。右に折れると、「桜ヶ丘駅」に。
「桜株」バス停。
付近に「桜株」という地名があり、駅周辺に桜の名所が多かったことから、「桜ヶ丘」と名付けられる。「桜株」にしなかったのは、駅の開業前に桜株の踏切(通称、中原街道との踏切(現・桜ヶ丘1号踏切))で踏切事故があり、イメージが悪かったためである。
大和市のマンホール。
大和市の市の花「ノギク」のデザイン。
駅前のロータリー。
「大和市コミュニティーバスやまとんGO」
今回はここまで。小田急江ノ島線「桜ヶ丘駅」から「中央林間駅」。東急田園都市線に乗り換えて、渋谷経由・半蔵門線で戻ってきました。