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Channel: おやじのつぶやき
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7月7日。小暑。鰻・万葉集。七夕。牽牛・織女。ベガ・アルタイル。夏の大三角形。『源氏物語』雨の夜の品定め。

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今日、7月7日は二十四節気のうち、「小暑」。小暑の頃は、暑さが次第に強まっていく時期にあたります。

この時期は、梅雨の末期で、集中豪雨、最近はゲリラ豪雨と呼ばれる激しい雨が梅雨前線の停滞によって局地的な激しい雨に襲われます。一方で、東京などは晴れ。今年一番の暑さ。ちょっと歩くだけで汗が噴き出るありさま。

七十二侯でいうと、   ・初侯 7月7日〜7月11日頃

温風至 あつかぜいたる

雲の間から注ぐ陽がだんだんと強くなる頃。 温風とは湿った空気が山を越え、乾いた温かい風となって吹き降ろすフェーン現象のことを表しているとも言われています。

・次侯 7月12日〜7月16日頃

蓮始開 はすはじめてひらく

蓮がゆっくりと蕾をほどき、花を咲かす頃。 水底から茎を伸ばし、水面に葉を浮かべ、綺麗な花を咲かせる蓮ですが、花が開いてから4日目には散ってしまいます。

数年前に「千葉公園」に「大賀ハス」を見に行ったことがあります。千葉市で発見された世界最古の花として、千葉県の天然記念物および、千葉市の市花に制定されています。

 

・末侯 7月17日〜7月22日頃

鷹乃学習 たかすなわちわざをなす

5・6月に孵化した雛が、巣立ちの準備をする頃。 独り立ちができるよう、飛び方を覚え、獲物の捕り方を覚え、「独り」ということを一から学びます。

さすがに都会では鷹を目撃することはありませんが、我が家辺りでも小鳥の鳴き声がしきりに聞こえます。巣立ちする雛もいるのでしょう。近所の工場の屋根にはツバメが巣を作っています。

旬のものとしては

虫 アゲハチョウ

魚 鰻

野菜 大蒜(にんにく)

行事 祇園祭

(この項、主に「暦生活」HPより)

※「鰻」といえば、今からおよそ1.230年以上昔、『万葉集』にある、大友家持が知人の石麻呂に贈った歌二首が思い浮かびます。

「土用の丑の日(今年は7月20日)に鰻を食べる」という風習。夏場で売れ行きが落ちた鰻屋から相談された蘭学者で発明家の平賀源内が鰻を売るためのキャッチコピーを店先に掲げたところ大繁盛した、ということから始まった、という説が有名ですが、万葉集の時代から鰻は夏場の滋養強壮に最適だったようです。

〈 痩せたる人を嗤咲へる歌二首〉痩せている石麻呂を戯れにからかってみた歌二首

3853: 石麻呂に我れ物申す夏痩せによしといふものぞ鰻捕り食せ

石麻呂に申し上げよう。夏痩せに良いというものとして鰻があるそうだ。鰻を捕って召し上がれ。

3854: 痩す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻を捕ると川に流るな

いくら痩せすぎているといっても、生きていればこそのはなし。万々が一、鰻を捕ろうとして川に入って流されるなよ。

そして、7月7日は、「七夕」。「五節句」の1つ。 

※五節句は、1月7日の人日、3月3日の上巳、5月5日の端午、7月7日の七夕、9月9日の重陽。

天の川を挟んで向かい合うベガ(織女星)とアルタイル(牽牛星)

(「wikipedia」より)

中国では、7月7日、牽牛と織姫が会合する夜であると明記され、さらに夜に婦人たちが7本の針の穴に美しい彩りの糸を通し、捧げ物を庭に並べて針仕事の上達を祈った。7月7日に行われた乞巧奠(きこうでん・乞巧とは牽牛・織女の2星に裁縫技芸の上達を祈り、奠とは物を供える祭の意。)と織女・牽牛伝説が関連づけられている。「天の河の東に織女有り、天帝の女なり。年々に機を動かす労役につき、雲錦の天衣を織り、容貌を整える暇なし。天帝その独居を憐れみて、河西の牽牛郎に嫁すことを許す。嫁してのち機織りを廃すれば、天帝怒りて、河東に帰る命をくだし、一年一度会うことを許す」と。

日本の「たなばた」は、元来、中国での行事であった七夕が奈良時代に伝わり、元からあった日本の棚機津女(たなばたつめ)の伝説と合わさって生まれた。

(この項、「Wikipedia」参照)

「おり姫星」はこと座の「べガ」のことで、「ひこ星」はわし座の「アルタイル」のこと。

ベガ、アルタイルと、はくちょう座のデネブの三つの一等星を結んだのが「夏の大三角形」。

七夕の晩には、東の空に、明るいベガとアルタイルを見つけることができます。都会では間を流れる天の川を見ることができませんが、ベガとアルタイルはすぐにわかるかな?

夏の大三角形

七夕飾り。

(「向島百花園」にて)

「暑中見舞い」を出す時期は小暑から立秋の前日まで(「大暑」までという説などもあるようですが)。立秋(今年は8月8日)以降は「残暑見舞い」となります。

さて、五月雨(梅雨)というと、源氏物語「帚木」の巻・「雨の夜の品定め」が思い浮かびます。

五月雨の夜、17歳になった光源氏のもとに、義兄の頭中将(とうのちゅうじょう)が訪ねてきます。さらに左馬頭(さまのかみ)と藤式部丞(とうしきぶのじょう)も交えて、4人で女性談義をすることになる。この場面は慣例的に『雨夜の品定め』(あまよのしなさだめ)と呼ばれます。この中で、「七夕」にかこつけた話題が出てきます。

「・・・はかなきあだ事をもまことの大事をも、 言ひあはせたるにかひなからず、龍田姫と言はむにもつきなからず、 織女の手にも劣るまじくその方も具して、うるさくなむはべりし」
とて、(左馬頭は)いとあはれと思ひ出でたり。(頭)中将、
「その織女の裁ち縫ふ方をのどめて、長き契りにぞあえまし。げに、その龍田姫の錦には、またしくものあらじ。はかなき花紅葉といふも、をりふしの色あひつきなく、はかばかしからぬは、露のはえなく消えぬるわざなり。さあるにより、難き世とは定めかねたるぞや」
と、言ひはやしたまふ。

「・・・風流なことでも実生活のことでも、話し合うかいがあり、龍田姫といってもいいほど染色の技能もあり、織姫にも劣らないほど、裁縫の腕も兼ね備え、たいした女であった」と言って、左馬頭は(あっという間に亡くなった)その女をしみじみと思い出している。頭中将は、「その織女のような裁縫の腕はさし置いても、(せめて七夕の)長い契りにあやかりたいものだ。本当に、その龍田姫の錦(染め)以上のものはいないでしょう。それほどでもない花紅葉にしても、折々の季節の色合いとが悪く、はかばかしくないのは、まったく露のごとくあっという間に消えるようなつまらないものだ。そう思うと、良き妻を選ぶのは難しく、決めかねるものだね」と言いはやす。


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