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Channel: おやじのつぶやき
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東急線「二子玉川駅」~京急線「六郷土手駅」。その1。二子玉川園。玉川西陸閘。岸辺の散策路。二子玉川公園。第3京浜。下野毛排水樋管(「都県境を探ってみる」。第21回目)

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4月28日(金)快晴。多くの乗降客でにぎわう駅の改札口から、多摩川土手に向かいます。

駅コンコースのようす。 

東急田園都市線・大井町線「二子玉川」駅。かつての駅名は、「二子玉川園」。
 駅名は、駅の東側にあった「二子玉川園」という遊園施設に由来しています。戦前の1922(大正11)年に「玉川第二遊園地」や「玉川プール」などが開設され、行楽地として賑わいました。

※「二子」という地名そのものは神奈川県川崎市高津区にある地名。多摩川をはさんであった左岸が東京都世田谷区瀬田に編入された。東京側は「玉川」。

 太平洋戦争中はパラシュート練習場として、海軍空挺部隊や陸軍挺進連隊の訓練設備として使用されました。戦後、玉川第二遊園地は、「二子玉川園」となり、フライングコースター等の施設や映画館なども設けられ、行楽地として栄えました。
 しかし行楽施設の充実や変化という時代の流れにはついていけず、1985(昭和60)年に閉鎖されました。その跡地にスポーツ施設や「ナムコ・ワンダーエッグ」、「いぬたま・ねこたま」などのテーマパークが建設されましたが、それも廃園。

今や高層ビルが建ち並ぶ、一大商業地域・住居地域になっています。

        「二子玉川駅」。ホームの一部は多摩川に。

多摩川の旧土手。

「玉川西陸閘」。

                   レンガ造りが印象的。結構な高さと幅。

江戸時代、二子(多摩川の右岸・神奈川県側)は、矢倉沢往還(大山街道・現在の246号「厚木街道」)の渡船場でした。「矢倉沢往還」は、神奈川県南足柄市の矢倉沢方面から物資を運ぶための道でしたが、丹沢の大山信仰の登山口でもあったため「大山道」とも呼ばれました。
 江戸時代、博打と商売にご利益があるとされた「大山詣り」は大流行し、二子宿には、旅籠をはじめ多くの商家が軒を揃え、大いに賑わいました。また、江戸幕府への献上用としても好まれた鮎漁も盛んに行われ(鵜飼い)ていたといいます。
 明治40(1907)年になると、渋谷から対岸(東京都側)まで玉川電気鉄道が延び、多摩川をはさんだ二子の渡し周辺は、再び行楽地として注目を集めます。近郊の人々が多摩川を訪れ、旅館に泊まって田園風景や多摩川の風情を眺めたり、屋形船で鵜飼いを楽しみながら川魚を賞味して余暇を過ごしました。旅館が建ち並び、鮎漁・鮎料理、鮎寿司を看板にしている店々が軒をつらねた様子が記録に残されています。
 行楽地として賑わう反面、下流部に位置し、東京と神奈川両府県にまたがるため断続的な堤防しかないこの辺りは、古くから水害に苦しめられていました。
大正3(1914)年8月9月、多摩川を襲った2度の大洪水が発端となって起きたのを契機に、国の直轄による「多摩川改修工事」が行われる事になりました。大正7(1918)年から竣工され、昭和8(1933)年度に完了した工事の対象区間は、河口から二子の渡しの少し上流までの約22kmです。
 現在残る世田谷区玉川1丁目から上野毛2丁目付近の堤防もこの時築かれますが、川辺に建ち並ぶ料亭などから「眺めが悪くなる」として合意が得られず、堤防と川の間に料亭や田畑を残す形に計画を変更しました。
 しかし、川辺の料亭や渡しへむかう人馬が、この堤防を越えていくのは大変です。そこで堤防の一部を削って通路をつくり、水位が上昇した時は手動で締め切って、水が流れ出るのを防ぐ仕組みの「陸閘(りっこう)」を設置したのです。一面から見れば、堤防内の人も住居も見捨てるということに? ま、その前に避難命令が出るでしょうが。考えてみれば、治水に対する生活の知恵 ともでもいうようなもの。
 近辺の宅地開発に、交通網の発達と関東大震災後の影響が拍車をかけ、都心から多摩川沿いの住宅地へと移り住む人々は急激に増え、世田ヶ谷の人口も、大正9年から昭和35年の間に16倍以上にもふくれあがります。昭和初期の航空写真には、料亭と田畑だけだった堤防と川の間にも家々が密集し、まちが形成されている様子が写っているようです。
 (以上、「京浜河川事務所」の資料を参照しました。)

南東に延びています。

かつてこの上を歩いたことがあります。土手。遠くに桜並木が見えます。

現在の堤防に上がります。土手の松がすくっと高く。

駅のホームを振り返る。

河口に向けて出発。

                対岸遠くは、武蔵小杉付近の高層マンション群。

河川敷を歩きます。

                

直線に伸びる道。

松並木。

岸辺の散策路。

左手に緑豊かな大きな公園。

                         「二子玉川公園」。

多摩川を見下ろす。

平成25年4月14日(日曜日)にオープンし、多くの皆さまにご利用いただいている二子玉川公園。

二子玉川駅より徒歩9分と、国分寺崖線のみどりと多摩川の水辺に囲まれた場所に位置している自然豊かな公園です。世田谷区立の公園として初の本格的な日本庭園があり、その一部には登録有形文化財に登録された「旧清水家住宅書院」を復元しています。

区民の皆さまと共に植樹した約1,400本の苗木が生長する「世田谷いのちの森」や子どもたちがボール遊びを楽しめる「子ども広場」、幼児が遊べる「遊具の遊び場」などがあり、親子連れで楽しめる公園です。

日当たりもよく、眺望広場からは丹沢の山々や富士山を望むこともできます。

(この項、「」HPより)

公園内のようす。

               かつての「二子玉川園」の跡地か?

「第3京浜」。

東京都世田谷区の玉川ICを起点とし、川崎市高津区の京浜川崎IC、横浜市港北区の都築IC、横浜市都筑区の港北ICを経て横浜市保土ヶ谷区の保土ヶ谷ICまでを結んでいる全長16.4km。

         

多摩川の流れ。

 

                 「下野毛排水樋管」。

この先の河川敷にあるものは?


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