9月26日(日)。雨のち曇り。
やっぱり入川渓谷にある「一級河川荒川起点」の標識まで行ってみようと。先週の日曜に引き続いて川又までやってきました。
「西武秩父」駅から中津川行きのバスに乗って、9時45分過ぎに到着。
途中からけっこう雨が激しくなってきました。川又で下車したのが二人。若い方と小生。
これから約2時間。雨が降りしきり中、さて、どうしたものか?
せっかくだから行けるところまで、と林道を歩き始めます。
東京発電(株)川又発電所。
入川渓谷。
右手の崖からは滝のような水の流れ。
四阿からの入川の流れ。
しばらくすると、左手に「入川渓谷夕暮キャンプ場」。
「施設マップ」。
キャンプ場の西隅に前田夕暮の歌碑。
前田夕暮は、終戦の年この地に疎開し、山林事業を営みながら、2500あまりの歌を詠んだ。
1925年(大正14年)、亡父から跡を継いだ歌人の前田夕暮を社長とする関東木材合名会社がその拠点を両神村小森から大滝村入川へと移したことで、入川は一つの集落を作るほどの繁栄を導いたと言われている。
前田夕暮は明治から昭和期にかけて自然主義の代表歌人として、牧水・夕暮時代と称される一時代を画しました。そんな日本を代表する歌人、前田夕暮氏の名前から入川渓谷夕暮キャンプ場と名付けました。(「入川渓谷夕暮キャンプ場」HPより)
山を開き土を平坦して建てし工場 その隅にしろし栃の太幹
そこからの入川渓谷。
実は、この先、トロッコの線路跡をたどるように進みます。「入川軌道(森林軌道)」跡。しっかり線路が残っています。
森林で切り出した木材運搬に活躍したのが、「入川軌道」。前述の「関東木材合名会社」が運営。
最初は人力でトロッコを押していたが、やがて馬が引くようになり、戦後はエンジンを積んだ内燃機関車が4~5連結のボギーを引いて運搬していた。レールの幅は普通の鉄道よりも狭いナローゲージ(762mm)で、機関車の重さは4.5~6トン。
終戦後も町の復興の為に木材の需要も多く、大変な賑わいをみせたが、安い輸入材や環境破壊に押されて昭和45年、森林軌道の幕を閉じた。
これから向かう楽しみが増えました。
キャンプ場から出てきた方に「どうですか、この先の道は? 」
「この間の台風で荒れてしまったが、きちんと整備し直してありますよ。道はまったく心配ありませんよ。この先、林道の途中で左の道を進んで下さい。」と。
この話に気をよくして、それでは行けるところまで、と。雨の中、歩き始めました。
すると、前を歩く青年、カメラ片手に写真を撮りながら上ってきます。声をかけたところ、「荒川の起点のところまでいくつもりです。」
これはありがたい。「ご一緒させてもらっても、いいですか? 」
道々、尋ねると日大芸術学部の学生、とのこと。
足手まといだったことでしょうが、結局、往復、ご一緒させてもらいました。
2010年代のようす。右手に「川又」バス停。「入川」沿いに上って行きます。(「歴史的農業環境システム」より)