「加藤家住宅・煉瓦塀」。
有力塩問屋の粋を極めた近代和風住宅の主屋と、並び立つフランス積みの煉瓦塀。
主屋は、明治後期のもので、旧行徳街道に東面して建ち、桁行12m、梁間7.3mの木造平屋建、寄棟造桟瓦葺の建造物。正面は緩やかに起る切妻屋根の玄関を中央に付け、その両脇は銅板葺の出格子としている。内部は部屋が細分され、銘木を用い、模様ガラス戸を使うなど、上質な近代和風住宅である。
付随する煉瓦塀も、同じく明治後期のもので、敷地の東辺北寄りと隣地境を矩折れに延び、途中に門を構えている。総延長34m。道路側が高さ2.1m、隣地境の中央が2.1mと低く、他は2.8m。煉瓦一枚厚のフランス積で、敷地側に控柱を建て、上部は小屋根状に積んである。街路景観を醸し出す、特徴ある塀となっている。
(この項、「千葉県教育委員会」HPより)
バス停。停留所名にかつての地名などが残っています。
「田中家」。芭蕉句碑が軒先に。
行徳街道(本行徳3丁目)にある田中家は、350年前から続く旧家で、家屋は明治10年築(約130年前)の木造・瓦・2建て。
先祖は行徳の塩場師(ショバシ)で、行徳町公選の初代町長だった田中栄次郎さん(安政5年生)が建てました。
玄関は昔ながらの格子戸作りに土間のタタキと、古き時代の生活様式が残っています。軒先には芭蕉の石碑が立ち、街道沿いには古い商家が点在しています。
(この項「」HPより)
月はやし 梢は雨を 持ちながら 芭蕉
「鹿島紀行」。鹿島での句。ちなみにこの時の芭蕉は、「芭蕉庵→六軒堀→小名木川経由→行徳→千葉県市川市八幡→千葉県鎌ヶ谷市→我孫子市布佐→利根川船で鹿島上陸」という行程だったようです。「木下街道」を辿ったのですね。
「本行徳」地区にある「澤木勘七」商会。
その先に「澤木酒店」。
路地の奥にお寺。寺社がたくさんある土地です。
「伝承を今に伝える染と織 越後屋」。
観光案内図。
大正時代の行徳の街並み。
現在の「行徳街道」。