




町屋駅にかけて、京成線の高架下には小さな工場や商店がありました。それらもすべて撤去されています。














「三河島水再生センター」は、1922年(大正11年)に稼動を開始した日本で最初の近代的な下水処理場。
(以下、東京都下水道局HPより)
旧三河島汚水処分場喞筒場(ポンプじょう)施設
大正11年3月の設立当初から稼働した赤いレンガ造りの喞筒(ポンプ)室は、水再生センターのシンボル的な施設でしたが、平成11年3月に別系統のポンプ施設に切り替え、引退しました。
旧三河島汚水処分場喞筒場(ポンプじょう)施設は、「わが国最初の近代下水処理場である旧三河島汚水処分場の代表的遺構として、高い歴史的価値が認められ、また、阻水扉室、沈砂池などの一連の構造物が、旧態を保持しつつまとめて残る点も、近代下水処理場喞筒場施設の構造を知る上で貴重である」と評価され、平成19年12月に国の重要文化財(構造物)に指定されました。・・・
三河島水再生センターの歴史
三河島水再生センターは、大正3年に建設工事を開始し、大正11年3月に日本で最初の下水処理施設「三河島汚水処分場」として、運転を開始しました。三河島水再生センターの下水処理方法は、散水ろ床法をかわきりに、昭和9年には、パドル式活性汚泥法(鋼製の水車を回転させ空気を取り入れる方法)、昭和34年に散気式標準活性汚泥法を採用し今日に至っています。


