廃線跡の道路が「新奥多摩街道」と合流する地点にある「転轍機」「車両止め」のモニュメント。
「新奥多摩街道」に合流して進みます。
この付近に「武蔵田中」駅がありました。![]()
ここから「多摩川」河川敷に向かって貨物線が分岐していました。
交差点の向こう側、左手に廃線跡の道路が延びています。
「砂利運搬専用の五日市鉄道拝島支線」跡。
「堂方上」交差点からは「国道16号線」となります。
「横浜まで47㎞」ポスト。
「日光千人同心街道」でもおなじみです。
《参考》
「多摩川」に架かる「拝島橋」の手前で。
「横浜から45㎞」ポスト。
「国道16号線」。
「植え込み」付近で、「国道16号線」から右に分かれていきます。その付近に「南拝島」駅がありました。
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そこから「16号線」を振り返る。
住宅地を進みます。![]()
ゆるやかなカーブ。
「五日市鉄道」由来のネーミング「五鉄緑3駐車場」(↓)。![]()
このカーブがいかにも廃線跡らしい雰囲気。
振り返る。
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線路当時のように、道路の左右は盛り土をしたり、崖状になったりして、緩やかな勾配になっています。
(↓)
(○)
「切り通し」の箇所も。![]()
「拝島三小西」信号を越えると、左にカーブします。![]()
「遊歩道」になるとまもなく拝島駅へ。![]()
来た道を振り返る。
「五鉄通り」の案内板と解説板。
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「江戸街道」にぶつかります。
「江戸街道」解説板。
鉄道や車がない時代、多摩地区では東西に走る道を「江戸街道」と呼ぶことがあり、「江戸街道(江戸海道とも書く)」の名前は今でも各地に残っています。青梅線にはほぼ平行して昭島市域を貫くこの道もその一つです。一部は昔の経路とは異なりますが、今も昔も重要な道です。
立川「産業サポートスクウェア」交差点のところで分かれた道(「立川南通り」)とここで再会することになります。
その先は拝島駅構内へ。今回はここで終了。![]()
「JR・西武拝島駅」。![]()
駅前広場の向こうに「大岳山」の姿が見えます(↓)。![]()
「日光千人同心街道」、「五日市街道」そして今回の「五日市鉄道・廃線」道と「大岳山」とはけっこう縁がありました。
帰りは西武新宿線で。JRホームを望む。![]()
「新奥多摩街道」に合流して進みます。
この付近に「武蔵田中」駅がありました。

ここから「多摩川」河川敷に向かって貨物線が分岐していました。
交差点の向こう側、左手に廃線跡の道路が延びています。

「堂方上」交差点からは「国道16号線」となります。
「横浜まで47㎞」ポスト。

《参考》
「多摩川」に架かる「拝島橋」の手前で。


「植え込み」付近で、「国道16号線」から右に分かれていきます。その付近に「南拝島」駅がありました。


そこから「16号線」を振り返る。
住宅地を進みます。


「五日市鉄道」由来のネーミング「五鉄緑3駐車場」(↓)。

このカーブがいかにも廃線跡らしい雰囲気。


線路当時のように、道路の左右は盛り土をしたり、崖状になったりして、緩やかな勾配になっています。


「切り通し」の箇所も。

「拝島三小西」信号を越えると、左にカーブします。

「遊歩道」になるとまもなく拝島駅へ。


「五鉄通り」の案内板と解説板。




鉄道や車がない時代、多摩地区では東西に走る道を「江戸街道」と呼ぶことがあり、「江戸街道(江戸海道とも書く)」の名前は今でも各地に残っています。青梅線にはほぼ平行して昭島市域を貫くこの道もその一つです。一部は昔の経路とは異なりますが、今も昔も重要な道です。
立川「産業サポートスクウェア」交差点のところで分かれた道(「立川南通り」)とここで再会することになります。
その先は拝島駅構内へ。今回はここで終了。

「JR・西武拝島駅」。

駅前広場の向こうに「大岳山」の姿が見えます(↓)。

「日光千人同心街道」、「五日市街道」そして今回の「五日市鉄道・廃線」道と「大岳山」とはけっこう縁がありました。
帰りは西武新宿線で。JRホームを望む。
