「弘文洞跡」。
JR錦糸町駅を11時過ぎに出て、総武線・千葉、内房線・五井と乗り継いで、午後1時半過ぎに「養老渓谷」に到着。約2時間10分の道のり。
これを逃すと、五井からの本数が少なく、次は午後4時過ぎに着く列車しかありません。
さて、まずは腹ごしらえ、と。駅前にはお土産・物産店を兼ねた食堂が一軒。そこには行ってみるしかなさそう。あとは、「ヤマザキショップ」が一軒。
「五井」で小湊鐵道に乗り換えるとき、改札口横でお弁当屋さんが店を広げていました。なるほど、そこで売っている意味がここで納得。
それでもここの「山菜ラーメン」はとても美味です。
駅前の「旅館案内」。
それではまず旅館に行こう、と。養老川自体が右に左にくねくね曲がって、その先、養老渓谷沿いに旅館が点々とある、ということらしい。
観光案内図だとすぐそこのように描いてありますが、実は旅館街までけっこうな距離が・・・。
目的地まで約1.8㎞。田舎道、そして途中から車の行き交う道路を上り、下りしながら歩きます。
廃校になった小学校。二宮金次郎の像だけがポツンと残っています。![]()
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終点の「上総中野」に向かう線路。![]()
里山らしいのどかな雰囲気。梅も満開。![]()
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長屋門があるりっぱなおうち。![]()
途中、養老渓谷に架かる「白鳥橋」(吊り橋)へ。
地層がくっきり露出しています。![]()
さすが「チバニアン」発見の川。
元の道に戻って歩きます。ところが、あまり商売っ気がないのか、廃れてしまっているのか。ここまで、沿道には飲食店が一軒のみ。もう少し南下すると、旅館や飲食店などのあるところになるようですが。
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いくつか建物が見えてきて、やっと旅館「黒湯の宿・清代元(きよもと)」に着きます。
そこから眺める「観音橋」。![]()
一休みしてアルコールを調達に行くか。
調べると、近くにコンビニはなし。結局、養老渓谷駅前の「ヤマザキ」まで行くしかないことが判明。
そこには若者が行くことにして、こちらは「弘文洞」へ向かいます。
「観音橋」からの養老渓谷。![]()
この付近から「大多喜町」になります。![]()
渓谷に降りて進みます。![]()
「観音橋」方向を望む。![]()
左右の崖を見上げると、地層がくっきり。![]()
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2回コンクリートブロックで川を渡り、やっと「弘文洞跡」に着きます。![]()
今からおよそ140年前、耕地を開拓するため、養老川の支流、蕪来川を川まわしして造った隧道。
弘文帝と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名され、景勝地、釣り場の代表として世に紹介されましたが、昭和54年(1979)5月24日未明、頭頂部が崩壊しました。
崩壊前のようす。
(この項、「
」HPより)
解説板がありますが、判読不能。![]()
日が西に傾いて左の崖側に日が当たって、ちょっぴり幻想的な雰囲気。![]()
昼過ぎだったら正面に日の光が当たり、パワースポットという感じがしたでしょう。
川面に赤い光が反射しています。![]()
しばらく眺めて、元の道を戻ります。
宿に戻り、醤油色に黒ずんでいても濁っているわけではなく、すべすべしたい温泉に浸かって、ゆったり。
食事がけっこう豪華で、満足、満足。
部屋に帰ってあとはアルコールでのどを潤します。
翌日は一人だけ早く帰京しなければならず、早立ち。
朝日に霞む「小湊鐵道線」でした。![]()
JR錦糸町駅を11時過ぎに出て、総武線・千葉、内房線・五井と乗り継いで、午後1時半過ぎに「養老渓谷」に到着。約2時間10分の道のり。
これを逃すと、五井からの本数が少なく、次は午後4時過ぎに着く列車しかありません。
さて、まずは腹ごしらえ、と。駅前にはお土産・物産店を兼ねた食堂が一軒。そこには行ってみるしかなさそう。あとは、「ヤマザキショップ」が一軒。
「五井」で小湊鐵道に乗り換えるとき、改札口横でお弁当屋さんが店を広げていました。なるほど、そこで売っている意味がここで納得。
それでもここの「山菜ラーメン」はとても美味です。

それではまず旅館に行こう、と。養老川自体が右に左にくねくね曲がって、その先、養老渓谷沿いに旅館が点々とある、ということらしい。
観光案内図だとすぐそこのように描いてありますが、実は旅館街までけっこうな距離が・・・。
目的地まで約1.8㎞。田舎道、そして途中から車の行き交う道路を上り、下りしながら歩きます。
廃校になった小学校。二宮金次郎の像だけがポツンと残っています。


終点の「上総中野」に向かう線路。

里山らしいのどかな雰囲気。梅も満開。


長屋門があるりっぱなおうち。

途中、養老渓谷に架かる「白鳥橋」(吊り橋)へ。
地層がくっきり露出しています。

さすが「チバニアン」発見の川。
元の道に戻って歩きます。ところが、あまり商売っ気がないのか、廃れてしまっているのか。ここまで、沿道には飲食店が一軒のみ。もう少し南下すると、旅館や飲食店などのあるところになるようですが。

いくつか建物が見えてきて、やっと旅館「黒湯の宿・清代元(きよもと)」に着きます。
そこから眺める「観音橋」。

一休みしてアルコールを調達に行くか。
調べると、近くにコンビニはなし。結局、養老渓谷駅前の「ヤマザキ」まで行くしかないことが判明。
そこには若者が行くことにして、こちらは「弘文洞」へ向かいます。
「観音橋」からの養老渓谷。

この付近から「大多喜町」になります。

渓谷に降りて進みます。

「観音橋」方向を望む。

左右の崖を見上げると、地層がくっきり。


2回コンクリートブロックで川を渡り、やっと「弘文洞跡」に着きます。

今からおよそ140年前、耕地を開拓するため、養老川の支流、蕪来川を川まわしして造った隧道。
弘文帝と十市姫にゆかりの深い高塚や筒森神社の傍を流れ本流にそそぐ合流点にあることから「弘文洞」と命名され、景勝地、釣り場の代表として世に紹介されましたが、昭和54年(1979)5月24日未明、頭頂部が崩壊しました。

(この項、「

解説板がありますが、判読不能。

日が西に傾いて左の崖側に日が当たって、ちょっぴり幻想的な雰囲気。

昼過ぎだったら正面に日の光が当たり、パワースポットという感じがしたでしょう。
川面に赤い光が反射しています。

しばらく眺めて、元の道を戻ります。
宿に戻り、醤油色に黒ずんでいても濁っているわけではなく、すべすべしたい温泉に浸かって、ゆったり。
食事がけっこう豪華で、満足、満足。
部屋に帰ってあとはアルコールでのどを潤します。
翌日は一人だけ早く帰京しなければならず、早立ち。
朝日に霞む「小湊鐵道線」でした。
