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Channel: おやじのつぶやき
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等々力渓谷。その3。

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                                「多摩川」方向の眺め。
すっきり晴れていた天気もしだいに曇ってきて、肌寒くなってきます。

「書院」。

「芝生広場」。

 そろそろ戻りましょうか。
ここにも「湧水」。

「不動尊」側の崖。けっこう急です。

                     振り返る。

「おもいはせの路(国分寺崖線散歩道)」。
 
都市を聴く
 走り去る車のエンジン音と子供たちの歓声、そして人々の繰り広げる生活の響きが、田多摩川の木々のざわめきと、渓谷の水面に融け込む。この道をゆくとき、人はこの都市の奏でる調和にひたることになる。                    

 今度は、違う季節に訪れてみようと思います。

 等々力駅に戻る途中、左手に。


                  
鈴木家住宅穀倉 建築年代 明治8年(1875)
 鈴木家は旧等々力村字宿(現在地)に古くから住む旧家で、屋号を「新屋」といいました。明治時代には農業のかたわら店を営み、炭や薪、木材などを商っていました。商品は青梅や五日市辺りから多摩川を下る筏流しに運ばせ、野毛と玉堤境にある通称「炭河岸」で荷揚げされました。大正時代からは材木店を本業とし、鈴銀材木店として深川の木場と本格的な取引をするようになりました。
 この木造穀倉は穀物の収納を目的に伝統的な建築構法で建てられました。入口の錠前、内部の壁や天井のていねいな張り板に穀倉の特徴が見られます。また、軒下を広くとり風雨をしのぐ工夫がされています。さらに小屋梁を省略し天井裏にも収納ができます。
 区内にあった木造穀倉は多くが取り壊され、現存する事例が極めて少なくなっています。
 鈴木家住宅穀倉は江戸時代末期から明治初期の農家の屋敷構えや生活形態、地域の歴史を伝える貴重な建造物です。  
 


奥には「土蔵造り」。                 

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