正面右手に大きな「イオンモールむさし村山」。ここは、日産自動車村山工場の跡地の一部。
(13:14)旧道はその敷地で途切れてしまうので、「残堀川」に架かる「伊奈平橋」方向へ進みます。
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「残堀川」。
狭山丘陵西端付近にある狭山池(東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎)に源を発し、立川断層に沿って南東に流れ、武蔵村山市の旧日産村山工場の敷地(注:現在は「イオンモールむさし村山」等になっている)に突きあたってから南に流れを変える。ここから下流は河道付替工事による人工の流路である。立川市一番町付近で玉川上水を乗り越え、国営昭和記念公園の西辺に添いながら昭島市に入る。東向きに曲がって同公園の敷地に入り立川市域に再び入る。公園内で再び南に向きを変え、立川市富士見町3丁目でほぼ直角に曲がり、立川市柴崎町で多摩川に合流する。
元々は狭山丘陵の小河川の水を集めて南東に流れ、矢川に注いでいたと考えられている。
・・・1963年(昭和38年)氾濫対策として、玉川上水を越える形に変え、1982年(昭和57年)「残堀川流域整備計画」が策定され、その計画に沿って河川改修工事が施工された。
しかしそれ以降は年間を通じて、降雨時およびその直後を除くと水流の殆ど見られない「瀬切れ」を頻繁におこすようになり、場所によってはその名の如く「堀だけが残る川」となってしまった。・・・
(以上「Wikipedia」参照)
うどん屋の手前から旧道が復活。左折し「上砂橋」を渡る。
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渡って右の道へ。![]()
(13:22)しばらく進むと、「榎」交差点で分かれた「江戸街道」に合流、西へ向かいます。
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畑地が広がります。
珍しく桑畑があります。![]()
梅。![]()
西の方には奥多摩の山々が。
この道はまっすぐ進むと「IHI」の工場の先で広大な「米軍横田基地」のために分断されてしまいます。そういえば、先ほどから頭上はヘリコプター行き交いたび、けっこうな騒音が。
(13:47)先達の案内に従い、「グリーンタウン南」信号で「武蔵村山高校」に向けて右折します。
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(13:52)その手前で道路を横切って直線で進む遊歩道。水道道(みち)?
西方向。
東方向。
「野山北公園自転車道線」。
実は「軽便鉄道」の跡のようです。
昭和の初めに「山口貯水池」の建設のための砂利の運搬用に敷設された12.6km。羽村市の多摩川から引かれていました。
大正時代にすでに設置されていた、羽村から「村山貯水池」までの水道管上を利用して敷設されました。この水道管は現在も使われています。武蔵村山市内を横断している鉄道跡が「野山北公園自転車道線」として残されています。特に鉄道遺跡はないようですが、当時のトンネルが4カ所残されています。また、横田基地の西側、羽村市内にも鉄道跡が「神明緑道」として残っているとのこと。地下には多摩川から村山貯水池や山口貯水池に水を送る導管(東京水道)が埋め込まれています。
唯一鉄道が通っていない「武蔵村山市」市内。これはぜひ行ってみなければなりません。でも、どう行けばいいのか?
バス停の脇には明治4年建立の「道標」。![]()
「右青梅道」「左羽村道」。当初の位置とは異なるようです。
正面の「ジョイフル本田瑞穂店」に向かって進む。
「一本榎」が見えてきます。
(14:10)榎の脇に「江戸街道」という標識。![]()
「庚申塔」。![]()
かなり大きなホームセンター。
この地域は「瑞穂町」。
(14:18)「新青梅街道」に合流し、「瑞穂石畑」交差点を斜めに突っ切ります。
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来た道を振り返る。
「箱根ヶ崎」に向かって進みます。
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この付近の今昔。
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1880年代のようす。「至函根崎村道」が旧道か。流れは「残堀川」。
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2010年代のようす。↑が「瑞穂石畑」交差点。交差点手前の旧道ははっきりしない。
(13:14)旧道はその敷地で途切れてしまうので、「残堀川」に架かる「伊奈平橋」方向へ進みます。


狭山丘陵西端付近にある狭山池(東京都西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎)に源を発し、立川断層に沿って南東に流れ、武蔵村山市の旧日産村山工場の敷地(注:現在は「イオンモールむさし村山」等になっている)に突きあたってから南に流れを変える。ここから下流は河道付替工事による人工の流路である。立川市一番町付近で玉川上水を乗り越え、国営昭和記念公園の西辺に添いながら昭島市に入る。東向きに曲がって同公園の敷地に入り立川市域に再び入る。公園内で再び南に向きを変え、立川市富士見町3丁目でほぼ直角に曲がり、立川市柴崎町で多摩川に合流する。
元々は狭山丘陵の小河川の水を集めて南東に流れ、矢川に注いでいたと考えられている。
・・・1963年(昭和38年)氾濫対策として、玉川上水を越える形に変え、1982年(昭和57年)「残堀川流域整備計画」が策定され、その計画に沿って河川改修工事が施工された。
しかしそれ以降は年間を通じて、降雨時およびその直後を除くと水流の殆ど見られない「瀬切れ」を頻繁におこすようになり、場所によってはその名の如く「堀だけが残る川」となってしまった。・・・
(以上「Wikipedia」参照)



渡って右の道へ。

(13:22)しばらく進むと、「榎」交差点で分かれた「江戸街道」に合流、西へ向かいます。


珍しく桑畑があります。

梅。


この道はまっすぐ進むと「IHI」の工場の先で広大な「米軍横田基地」のために分断されてしまいます。そういえば、先ほどから頭上はヘリコプター行き交いたび、けっこうな騒音が。
(13:47)先達の案内に従い、「グリーンタウン南」信号で「武蔵村山高校」に向けて右折します。

(13:52)その手前で道路を横切って直線で進む遊歩道。水道道(みち)?


「野山北公園自転車道線」。
実は「軽便鉄道」の跡のようです。
昭和の初めに「山口貯水池」の建設のための砂利の運搬用に敷設された12.6km。羽村市の多摩川から引かれていました。
大正時代にすでに設置されていた、羽村から「村山貯水池」までの水道管上を利用して敷設されました。この水道管は現在も使われています。武蔵村山市内を横断している鉄道跡が「野山北公園自転車道線」として残されています。特に鉄道遺跡はないようですが、当時のトンネルが4カ所残されています。また、横田基地の西側、羽村市内にも鉄道跡が「神明緑道」として残っているとのこと。地下には多摩川から村山貯水池や山口貯水池に水を送る導管(東京水道)が埋め込まれています。
唯一鉄道が通っていない「武蔵村山市」市内。これはぜひ行ってみなければなりません。でも、どう行けばいいのか?
バス停の脇には明治4年建立の「道標」。

「右青梅道」「左羽村道」。当初の位置とは異なるようです。


(14:10)榎の脇に「江戸街道」という標識。





(14:18)「新青梅街道」に合流し、「瑞穂石畑」交差点を斜めに突っ切ります。


「箱根ヶ崎」に向かって進みます。


この付近の今昔。




1880年代のようす。「至函根崎村道」が旧道か。流れは「残堀川」。




2010年代のようす。↑が「瑞穂石畑」交差点。交差点手前の旧道ははっきりしない。