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Channel: おやじのつぶやき
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「風立ちぬ」(宮崎駿)ジブリ

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注:ポスターは、より拝借しました。
 実は宮崎駿さんの作品を劇場で観たことはなく、すべて我が家のTV(ビデオ)で。それも途切れ、途切れで。今、映画館で観るアニメは孫にせがまれてみる「ドラえもん」「ポケモン」くらい。

 今回の作品。今のご時世の中、ちょっと気になるテーマでもあったので観に行きました。さまざまな批評、感想が多く語られているので、あえて触れず。一点だけ。「風」。

 「風」。「風立ちぬ。いざ生きめやも」。ここでの「風」は肌に心地よい風のイメージ。風に吹かれる、その中での息づかいがこうした表現につながっていくような印象。
 しかし、今、政治でも経済でも教育でも、あらゆる分野で、風向きがおかしい。ふわっとした風によって(そういうふうにみせかけながら意図的に吹かせる「風」によって)、ふわっとした気分での行いが、静かに静かに進んでいき、いつしか実体化し、その現実の中で、気がつけば、右往左往する・・・。

 しかし、映画で吹く「風」はいつも激しい。さわやかな「風」では、けっしてない。二郎と奈緒子の初めて会う場面でも、再会の場面でも吹く風は激しい。大震災の地鳴りとともに激しい火災によって巻き起こされる旋風。飛行機のエンジンから出る風も激しい。蒸気機関車から吹き出す黒煙も穏やかではない。しかし、そうした「風」が立ってしまった(立ち始めてしまった、巻き込まれてしまった)としても、その中から(その中にあってこそ)生きなければならない。そんなメッセージ性を強く感じました。
 時代の中で、激しい風に対抗する毅然とした姿勢と、そして、静かに心地よさそうに吹く風の本質を見抜くという大事な感性を失わないこと、こんな「生」き様を、今こそ必要としているようです。どんな風にも乗って悠々と、時には風をうまくつかんで、時には逆らって飛ぶ「美しい」機能美の飛行機になぞらえて。
 戦時下の飛行機は、あくまでも機能的な「残酷な兵器」。海軍零式艦上戦闘機いわゆるゼロ戦。1940年から三年間、ゼロ戦は世界に傑出した戦闘機であったのですが。

・・・
 私達の主人公が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。
 自分の夢に忠実にまっすぐ進んだ人物を描きたいのである。夢は狂気もはらむ、その毒もかくしてはならない。美しすぎるものへの憧れは、人生の罠でもある。美に傾く代償は少なくない。二郎はズタズタにひきさかれ、挫折し、設計者人生をたちきられる。それにもかかわらず、二郎は独創性と才能において最も抜きんでていた人間である。それを描こうというのである。
 この作品の題名「風立ちぬ」は堀辰雄の同名小説に由来する。ポール・ヴァレリーの詩の一節を堀辰雄は、”風立ちぬ、いざ生きめやも”と訳した。この映画は実在した堀越二郎と同時代に生きた堀辰雄をごちゃまぜにして、ひとりの主人公”二郎”に仕立てている。後に神話と化したゼロ戦の誕生をたて糸に、青年技師二郎と美しい薄幸の少女菜穂子との出会いと別れを横糸に、カプローニおじさんが時空を越えた彩りをそえて、完全なフィクションとして1930年の青春を描く、異色の作品である。
 描かねばならないのは個人である。
 リアルに
 幻想的に
 時にマンガに
 全体には美しい映画をつくろうと思う
・・・
(2011.1.10 宮崎駿)

 ラストシーンは、印象的でした。荒涼とした野の、吹きすさぶ風の中に立つ主人公。

堀辰雄「風立ちぬ」。
 余談だが、芥川龍之介、堀辰雄、立原道造は、文学上でお互いに影響を受けたが、3人そろって府立三中(現都立両国高校)の先輩、後輩の関係でもある。

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